第6章 The future pivots on your decision.
X ヘファイスティオンは困惑していた。 フィリッポス・アッリダイオスを疑う事は出来ず、しかしアーシアを信じる気持ちもあり、どうしてよいのか分からない時に突然現れた人外の者。 ――――――女神アテナと、誰かが呼んだ存在。 神の存在を信じてはいても、実際に人間がまみえる事はほとんど無い。だから、その存在が神なのかと言われても疑わしく感じるのだが、ヘファイスティオンははっきりと見てしまった。 アテナと呼ばれた女性が、その手に持つ槍から何やら不可思議な光を放つのを。見たことの無い現象に、明らかに彼女が人ではないと教えられて。 そして、何より。 その光に照らされたフィリッポス・アッリダイオスの背後に、影のように映し出された黒い靄のような存在が、ヘファイスティオンにもはっきり見えたのであった。 (アッリダイオス様はあの黒い影に操られていたのか?) そうだとしたら、セフェリスの言葉が真実なのだろうか?フィリッポス・アッリダイオスが内通者だったのだろうか? いや、それよりも。 今の彼らの会話が真実だとするならば。 「……アーシア……?」 ヘファイスティオンの呼びかけに、彼女は苦笑するばかりだった。 そんな彼女に、ヘファイスティオンは続ける言葉を失ってしまう。 (アーシアは、人間じゃ、ない……?) アレクサンドロスのかつての守り役であったアトレウスの娘だと、紹介された。アトレウスには、ヘファイスティオンも昔アレクサンドロスと共に剣を習った事があり、好意を抱いていた。だから、彼の娘であるアーシアを無条件に信頼して受け入れた。それなのに。 「……俺達を、アレクを、騙していたのか……?」 そう呟くのが精一杯だった。声も、唇も、瞳さえも震えているのをヘファイスティオンは自覚していなかった。そんな余裕は、とうに失っていた。 その低い呟きに、アーシアは瞳を伏せた。その様がとても悲しげに見えて、ヘファイスティオンの心に痛みを与える。 裏切られたのは自分の方なのに、何故こちらが彼女を傷つけているような気になるのか。そんな訳は無いのに、と思うが、自分の心に罪悪感が生まれるのを止める事は出来なかった。 その伏せられた長い睫毛が震えている。こんな時に、とは思うが、彼女の美しさに目を奪われた。 己の中に、彼女に対する憎しみが湧かないのがヘファイスティオンには不思議だった。アーシアは自分達を騙していたのだ。何かの企みを持って、アレクサンドロスの懐へとやって来たのに違いないのに。 裏切られて傷ついてはいるが、それでもアーシアを恨む気持ちにはならなかったのだ。 「……許して、とは言わないわ。騙していたのは事実だから」 ようやく、アーシアが口を開いた。静かな声だった。静か過ぎる、声。 そして、伏せた瞳を真っ直ぐにヘファイスティオンに向ける。その琥珀の瞳に全くの翳りが見られない事を、ヘファイスティオンは何故か不思議には思えなかった。 「断罪なら後で受ける。私は逃げも隠れもしない。だから、今は行かせて欲しいの」 何処へとも、何の為に、とも言わない。 だが、ヘファイスティオンには分かってしまった。 アレクサンドロスの所へ。 彼の為に。 その時になって、ようやくヘファイスティオンは思い出した。 アーシアへの信頼は、彼女の素性から生まれたものではなかったはずだ。彼女の今までの行動に偽りは見られなかった。アレクサンドロスを守りたいと願う心が傍で見ているヘファイスティオンにも伝わってきた。そんな彼女の想いと人柄と、そして一緒にいた時間が、ヘファイスティオンの内に彼女を受け入れさせたのではなかったか。 『アーシアは真っ直ぐなんだ。正しい事を正しいと言える強さを持っている』 以前アレクサンドロスが言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。 (ああ、そうだな、アレク。お前と俺の人を見る目を信じる。彼女の正体が何であれ、アーシアの気持ちに嘘はなかった。それが、真実だ。) ようやく、ヘファイスティオンに笑みが浮かんだ。強張っていた筋肉を解(ほぐ)すように、ゆっくりと。 彼の微笑を見て、アーシアが目を瞠(みは)った。 「行こう、アーシア。アレクが心配だ」 彼女が何者なのか、何の目的で近づいてきたのか、気にならないといえば嘘になる。けれど、今は目の前の彼女を信じよう。目の前の真実だけで十分であった。 ヘファイスティオンの瞳に、アーシアを責める色は全く見られなかった。そんな彼に、逆にアーシアの方が不安になったようだ。 「……私が言うのも何だけど、もっと人を疑った方がいいと思うけど……」 「心配しなくても、そんなにお人好しじゃないさ」 十分お人好しだと思うけど、そう小さく呟いたアーシアは、しかし次の瞬間駆け出していた。 彼女に続こうとしたヘファイスティオンだが、窺うように視線を向けてくるセフェリスに気づいて足を止めた。 彼はずっと口を挟まなかったが、本当は言いたくても何も言えなかったのだと、あの時の様子を思い出してヘファイスティオンはそう思う。アーシアとヘファイスティオンの緊迫した雰囲気に、二人を交互に見つめて口篭もっていたのを視界の端に捉えていた。……最も、あの時はそれを気にとめる余裕も無かったが。 「セフェリス、お前……アーシアの事を知っていたんだな」 だから、彼女の元へ来たのだと、今なら分かる。何の接点も無いはずの二人の繋がりに不思議だったが、そうであるならば納得がいった。 女神アテナによってアーシアも人外の者であることが分かっても、セフェリスに動じた様子は見られなかった。何と言っても、女神アテナが現れた時、アテナの名を口にしたのは彼だったのだ。ただの人間が何故一目見て女神アテナだと分かったのか。 「……僕は正真正銘、特別な力なんて何も持たない人間ですよ」 彼も人外の者なのか、というヘファイスティオンの無言の疑問を読み取って、セフェリスは口を開いた。その口調に、何処となく自嘲の響きが感じられる。 「……神によって運命を押しつけられ、人形のように生きてきましたけれど、ね……」 あの、マイドイより凱旋した日の事が思い出された。セフェリスが国王に訣別した時。彼は言っていたではないか。自分には自由は無かった、だから己の信じるものの為に戦うアーシアに惹かれたのだ、と。 過去を振り返り悔いる事をセフェリスは決してしなかった。過去に犯した過ちは全て受け入れ、罪に問われようとも甘んじて受け止めていた。彼のその行動にも嘘はないと感じたから、ヘファイスティオンはセフェリスを信じたのだ。 「……お前もアーシアも、訳ありなんだな……」 「あの……この事を王子に……」 アーシアは、自分の正体が発覚しようとも、それに付いては全く気にする事は無いだろう。ただ、以前はともかく今の彼女はアレクサンドロス達を騙していた事に対する後ろめたさを感じるはずだ。ヘファイスティオンが糾弾した時、彼女が悲しげに目を伏せたのはそのせいなのだから。アーシアにそんな表情はさせたくない、とセフェリスは思った。 彼女の事をひたすら案じるセフェリスは、己の事を全く気に掛けていなかった。何よりもアーシアを優先させるそのいじらしさに、ヘファイスティオンは苦笑を浮かべるしかない。 「言ったって信じないさ」 不可思議な現象を見ない限り、言っただけでは信じてもらえない、これは本当の事。 けれど、それだけでは無くアーシアを庇う気持ちも伝わってきて、セフェリスはほっと安堵の吐息をついた。 |
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The future pivots on your decision. =「未来は君の決心で決まる」
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