第6章  The future pivots on your decision.








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 剣と剣が激しくぶつかり合う。

 アレクサンドロスとレオーンは、どちらも一歩も譲らなかった。お互いに浅い傷はついているものの、勝敗を決する決定的なダメージは与えられていない。

 レオーンの剣は、どちらかというとリュコスと似たタイプであった。力強く、そして大胆に攻めてくる。ともすれば力負けしてしまいそうな位に。
 だが、隙の無い動きという点ではアレクサンドロスの方がやや勝っているようだ。無駄を省いた鋭い切っ先でレオーンの剣を避け、そして攻めていく。

 レオーン以外の刺客達には親衛隊<ソマトフュラケス>が指揮をとって戦っていた。その彼らも苦戦していた。どうやら刺客の一団はレオーンの側近達らしい、いずれも一騎当千の兵達ばかりであるようだ。

 それを見てアレクサンドロスは舌打ちした。広間の片隅にはいまだ国王や女性達が固まっていたからだ。
 不意に、彼らに近づいていく影が見えた。敵かと緊張するアレクサンドロスであったが、その影が彼の異母兄のものだと分かりひとまず安心する。

「ラーイオス!父上達を安全な所へ避難させてくれ!」

 元来不仲であり、異母弟を敵視しているラーイオスであるが、時と場合は選べるだろう。そう思っての声掛けであったが。






 応えるラーイオスはにやりと笑うと――――――おもむろに剣を抜き放ち、父王に突き付けた。






「ラ、ラーイオス!?」

 フィリッポス二世が驚愕の声をあげる。
 その声に、ラーイオスの正気とは思えない行動を視界に端に捉え、アレクサンドロスは舌打ちした。

「ふざけるのはやめろ!ラーイオス!」
「俺は本気だぜ、アレク」

 その表情も声も、確かに恐ろしいほど真剣なものであった。決して冗談を言っているわけでは、ない。






「マケドニアの王位は俺がもらう!今日からは俺がマケドニア国王だ!!」






 その声に合わせたように、更なる一団が広間に押し入ってきた。ラーイオスの配下の者だった。彼らの剣先は、アテナイの刺客達ではなく、親衛隊らマケドニア勢に向けられていた。






 謀反。
 その言葉を誰もが思い浮かべざるを得なかった。






 よりによってこんな時に、と一瞬思ったが、すぐにアレクサンドロスは険しい目でラーイオスと目前のレオーンを睨みつけた。
 こんな時だからこそ、ラーイオスは行動を起こしたのだ。

「……示し合わせた、というわけか」

 アレクサンドロスの、問いかけではなく確認する台詞に、レオーンも唇の端を吊り上げた。

 アレクサンドロスは知らない事ではあるが、レオーンはフィリッポス・アッリダイオスと内通していた。それだけではなく、彼はさらに別系統でラーイオスとも接触を図っていたのだ。二重三重の罠を、マケドニアに仕掛けていたのだった。

 勝利を確信したレオーンの瞳が、アレクサンドロスを嗤う。

「万事休す、だな。アレクサンドロス王子」
「……そう思うか?」

 負け惜しみを、とレオーンは鼻で笑ったが、アレクサンドロスは落ち着いていた。

 何故なら。






「剣をお退き下さい、ラーイオス様」






 ラーイオスの咽喉元にピタリと当てられる剣先。
 ――――――気配を感じさせること無く、彼の背後にはいつの間にかアーシアが立っていた。

 玉座を手に入れた歓喜に浸っていたラーイオスの表情が凍りつき、彼は動くことができなくなった。ラーイオスの部下達も動きが止まってしまう。下手に動けばラーイオスを危険に晒すからだ。

 その隙にヘファイスティオンが指揮する兵達が反乱者達を拘束していく。

 一瞬の内の逆転劇に、ラーイオスはおろか、レオーンまでも表情を凍りつかせた。

「王宮はすでに軍勢で包囲させた。遅くなってすまなかったな、アレク」
「いや、助かった。ヘファイスティオン」

 フィリッポス・アッリダイオスとの件が一段楽して広間へとやってきたアーシアとヘファイスティオン達は、状況からいきなりは飛び込まない方が良いと判断し、ペラ郊外にいる軍勢を呼びに行ったりと根回しを行っていたのだ。

「さて……万事休す、だな。レオーン将軍」

 アレクサンドロスの声に、レオーンの歯噛みする音が聞こえてくる。勝利を確信した台詞を、まさか覆され己に突き付けられるとは思ってもいなかったのであろう。
 こんな終わり方は彼の望むものではなかった。マケドニアの力を殺(そ)ぐ為に、国王の命を奪い、あわよくばマケドニア自体を制圧しようと思っての潜入であった。このままで、終れるはずが無かった。

「……せめて、お前の首一つは狩らねば、国へは帰れぬな」

 新たな殺気を両目に燃やし、レオーンは再びアレクサンドロスへと襲いかかって来た。

 それを正面から受け止めるアレクサンドロス。彼は、レオーンをアテナイへと帰らせるつもりは無かった。アテナイの荒獅子と異名をとる将軍の命を奪えば、逆にアテナイの力を殺ぐ事が出来るのだ。アレクサンドロスの方も、負けるわけにはいかないと剣を握る手に力を込めた。

 そんなアレクサンドロスの様子を横目で見ながら、アーシアは剣を突きつけたままのラーイオスの背後から、耳元にそっと囁きかけた。






「……色々と引っ掻き回してくれたな。≪欺瞞≫アパテがいたのは都合の良い偶然だったわけか?≪嫉妬≫ゼロス?」






 その台詞にラーイオスは――――――いや、ラーイオスの内にいる者は咽喉を震わせてひそかに笑った。






「お前の慌てふためく様は面白かったよ、ア」
「アフロディーテの子飼いが……!」

 ゼロスの言葉を遮るように吐き捨てるアーシア。まるで、決して己の名を呼ばせまいとするかのように。

 アテナの言っていた嫌な気配とはゼロスの事だったのだ。広間に戻って来てからようやくアーシアはそれに気がついた。何故今まで気づく事が出来なかったのかと、己を責めたい気分だった。

 だが、それも仕方あるまい。アパテは自然にフィリッポス・アッリダイオスに取り憑いて彼の内に巣食っていたのであり、常には現れてはいなかったし、ゼロスはラーイオスに乗り移ってからはアーシアとは会わないように避けていたからだ。

 ラーイオスの手が、アーシアの剣の刃を掴む。
 そして、人間とは思えない程の力で押し返してきた。刃を握る手の平からは一滴の血も流れていない。

(……同化している!)

 憑くとか乗り移るとか、そんな次元ではなかった。もはや、ラーイオスは人間の存在をはるかに逸脱してしまっていた。

(だから、アテナは去ったのか)

 ゼロスだけをどうこうする事はもはや不可能に近い。それでもなおゼロスを始末しようとするならば、人間であるラーイオスの命をも奪う事になる。人界に介入する事を己に禁じているアテナには、手の出しようも無かったわけだ。

「お前はアフロディーテ様を喜ばせなければならないのだよ。楽しいゲームはこれからなのだから」

 振り返ったゼロスは笑っていた。禍々しい、笑みであった。






 その嘲笑を見た瞬間、アーシアは――――――意を決した。






「アフロディーテを喜ばせる義務は無いし、ゲームを楽しくするつもりも無い。そして……お前は、アフロディーテの元へは二度と帰れない」

 アーシアの琥珀の瞳が鋭く輝いていた。それは、相手を消滅させようという強い意志。彼女にはゼロスを逃がすつもりも許すつもりも一切無かった。

「私を殺すの?そうしたらこの男の命も無いよ?人間としてマケドニアにいるお前が、王族殺しをすると言うのかい?」

 それは、人界での居場所をなくすことを意味した。そんな事が出来るわけが無い、とせせら笑うゼロスであったが。

 アーシアの瞳に宿る決意に、息を呑んだ。






 ――――――本気、だった。






 剣を握るゼロスの手を無理矢理に払い、彼女は吐き捨てた。

「……それ以外の選択肢は無いからね」

 ここでラーイオスの命を救う為にゼロスを見逃したとしても、それは何の解決にもならない。叛乱を起こしたラーイオスは、どのみち何らかの形で処分される事になるはずだ。アレクサンドロスが……処刑を、決断しなければならなくなるかも、しれない。

 それならば。アレクサンドロスに『兄殺し』の罪を負わせる位ならば、自分が『王族殺し』の罪に問われる方が良いとアーシアは思った。

 アーシアの本気を感じ取って、ゼロスの顔色が変わった。

 まともにやり合って勝てる相手ではないのだ。確かにゼロスは嫉妬という感情を支配するとはいえ、純粋な戦いという点では全く慣れていなかった。完全に同化してしまったゼロスの失敗だろう。不完全なものであれば、引き剥がす為の躊躇を生じさせる事が出来たのに。完全な同化では肉体を捨てて逃げる事も出来ない。

 ゼロスから、アーシアを怖れ怯える感情が伝わってきたが、アーシアは構う事無く剣を向けた。






 そして微笑む。ことさらに優しく。

「さよなら、ゼロス」






 ――――――永遠の別れを、告げた。











 ラーイオスの身体がアーシアの剣に貫かれ、糸の切れた人形のように倒れるのを見て、レオーンは最後のプライドさえも捨てざるを得ない事を痛感した。

 ラーイオスが刺された瞬間、アレクサンドロスの気が一瞬逸れた。その隙を逃しては、脱出する事さえままならないだろう。そう瞬時に判断し、レオーンは一気に飛び退いて、アレクサンドロスとの距離をとった。そして、配下の者に合図をし、王宮から脱出する為に走り出した。

 はっとしてアレクサンドロスが振り返った時には、その後姿は敵を切り伏せながら広間から遠ざかろうとしている所だった。

「逃げるのか!?レオーン将軍!」
「決着は後日必ずつけよう!お前を殺すのはこの私だ!!」











 その言葉はただの言い逃れにはならなかった。レオーンの内ではアレクサンドロスとの再戦の念は強く残り、この因縁は翌年のカイロネイアの戦いまで持ち越すこととなる。












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The future pivots on your decision. =「未来は君の決心で決まる」




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