第6章  The future pivots on your decision.








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 超新星が爆発したかのような閃光。
 これと同じものをアーシアは過去に見た事があった。以前にアフロディーテが現れた時だ。あの時も視界を焼き尽くすような白い光を放っていた。






 ――――――ということは、オリンポスの神が降臨するのだろうか。






 もしやまたもアフロディーテか、と身構えるアーシアであったが、その光源から放たれる気配は嫌悪の情を放ち、それは明らかにアパテに向けられているように感じられた。

 アパテの方も、それを感じ取ったのだろう。黒い闇のような影で輪郭も定かではないので表情ははっきりとは分からないが、忌々しげに舌打ちした音が聞こえてきた。






《これ以上私の庭先を荒らすのは止めてもらおうか》






 アフロディーテの声ではなかった。
 アパテから余裕の態度が消え去る。警戒するような気配が伝わってきた。アパテにとっては歓迎出来ない者らしい。

 だが、アーシアも口元を引き締めて光源を見やっていた。決して、安心している様子ではない。実際、彼女は緊張していた。アパテにとっては敵かもしれないが、だからといってアーシアにとっての味方である訳ではないのだ。

 光が薄れてきた時、現れたのは甲冑を身に纏い、槍と盾を手に持つ女性であった。褐色の長い髪を編みこんで背に流している。そこにいるだけで威圧感を感じさせる存在で、高位の神であると誰に対しても思わせるオーラを発していた。






「女神……アテナ……」

 現れた女神を見て、呆然と呟いたのはセフェリスだった。






 女神アテナ――――――正義と戦いの女神である彼女の視線はひたとアパテに据えられていた。その表情は厳しく、どこか見下した感じがある。紅く色付いた唇は、しかし不機嫌そうに歪められており、お世辞にも友好的な態度であるとは言えなかった。

「何をしでかそうともそなたの勝手であるが、私の目と鼻の先での目障りな動きは非常に不愉快だ。嫌な臭いを撒き散らしおって」

 高圧的、威圧的な態度はオリンポス十二神の一人であるという誇りからだろう、明らかにアパテを格下のように扱っていた。








 ……かつて、世界は混沌≪カオス≫であった。そしてそれから様々な神々の系譜が生まれる。

 現在のギリシアの主系譜はオリンポス神族である。大神ゼウスを主軸とし、オリンポス十二神と呼ばれる神々を中心に栄えている。その前はゼウスの父クロノスを首領とするティターン神族が世界を治めていた。その他にも≪海≫ポントスの系譜、≪夜≫ニュクスの系譜と別系統が派生している。
 しかし、さかのぼればそれらは全て混沌≪カオス≫へと戻るのだ。








 アパテは、その夜の系譜であった。混沌より生まれた夜によって生み出された存在である。同胞には≪死≫タナトスや≪復讐≫ネメシス、≪不和≫エリスなどがおり、負の要素が強い闇の種族でもあった。アテナとはまるっきり正反対の属性である。
 そして、彼女から放たれる力強い神気にアパテは恐怖を感じていた。声にも震えが隠せない。

「ア、アテナ……あ、あたしは……」
「調子に乗りすぎだ。私は本来人界の事に手を出すつもりは無いが、お前の暴走は目に余る」

 右手に持った槍の穂先を、すっとアパテに向ける。まだ何かを言い募ろうと口を忙しく開閉させる彼女に一言も発せさせることなく。

「消えろ」

 と、一言。アテナの穂先からカッと力が放たれ、その凄まじいばかりの威力でアパテを一瞬の内に吹き飛ばしてしまった。






 ……塵のように、その姿を崩れさせていくアパテ。






 その影の姿が完全に消え去った時、フィリッポス・アッリダイオスは意識を失い、がくりと膝を付いて倒れた。

 そして、槍を下げるとアテナはアーシアを見た。
 アーシアの方もじっと彼女を見つめていた。

 アパテの所業を許せずフィリッポス・アッリダイオスから彼女を引き剥がしてくれた事は、アーシアにとっては良い結果であったといえるだろう。
 だが、アテナはアーシアが敵対しているアフロディーテと同じオリンポスの者である。彼女の敵意がいつアーシアに襲い掛かってもおかしくは無いのだ。警戒を緩めることなどできなかった。

 アーシアはアテナを怖れている訳ではなかった。戦う事になったら迷わず立ち向かうだろう。だが、強敵である事は否定できない。もしかしたら、あのアレスよりも手強い相手であるかもしれなかった。

 アーシアの警戒するような視線を受けて、ふっとアテナが笑った。
 それは見下すものでも嘲るものでもなく、どちらかといえば友好的なものだった。

「心配致さずとも、そなたとやり合うつもりは無い。私としてはアフロディーテを懲らしめる為にそなたには頑張ってもらいたいと思っている」

 そういえば、とアテナとアフロディーテの不仲をアーシアは思い出す。神話にも多く語られており、かのトロイア戦争の時にははっきりと敵となって戦ったのではなかったか。

「……闇の者として追われるものだと思っていたわ」

 完全には緊張を解かず、アーシアはどこか窺うような目線をアテナに送る。

「確かに、本来そなたはアパテと同じ夜の系譜の者。我らとは相容れぬ存在であるが」

 そこでアテナは言葉を切り、その口元を微笑ませた。
 彼女の笑みや、その瞳の和やかさはアーシアには予想外であったので、驚いてしまった。






「そなたの事はエウリュティオーンを通して見させてもらった。……随分と、変わったものだな」

 アテナは、どこか感心したように言った。






(変わった……?)

 変わった、のだろうか、自分は。






 アーシアには自分の変化の自覚が無い。変わったと言われても、どこがどう変わったのか自分では分からなかった。その変化が、アテナの友好的な視線に繋がっているのだろうか。

 危機を救ってもらった事になるのだが、アーシアからは感謝の念は全く伝わってこず、しかしアテナの方もそれを全く気にしていなかった。アテナにとっては、別段彼女の為を思ってした行為ではないからだ。

「先程も言ったが、私は本来人間同士の諍いに介入するつもりは無い。だが、私はエウリュティオーンを気に入っているし、だからこそマケドニアを見守っている。それを他の神に荒らされるのは気分のいいものではない」

 だから、アパテを追い払ったのだと告げて。
 アテナは視線を奥へと向けた。

「……アパテは消えたが、まだ王宮には嫌な気配があるな。そなたにとっても好ましいものではなかろう」

 アテナの言葉に、アーシアは宮殿を振り返った。だが、嫌な気配と言われても、争いのざわめきばかりが伝わってくるだけで分からなかった。あまりにも慌しく事が進んでいって、感覚がついていかないのだ。

 しかし、詳細な説明をするつもりなど一切ないのか、言いたい事は言ったとばかりにアテナは姿を消した。言葉通り、これ以上の介入はしないつもりらしい。

 まだ、アレクサンドロスへの危険は残っているという事か。ならば、それを取り除くのが自分の仕事である。アーシアは再び彼の元へ行こうと駆け出そうとしたが。

 倒れ伏したフィリッポス・アッリダイオスと彼女を見つめ、呆然としているヘファイスティオンと視線が合ってしまった。

「……アーシア……?」

 声に潜められる疑念。それは当然なのかもしれない。彼の存在を忘れていたわけではないが、アパテやアテナとのやり取りを誤魔化す術をアーシアは持っていなかった。目の前で起こった不可思議な現象に、そして交わされた会話に、ヘファイスティオンが疑惑を持たないわけはないのだ。

 だから。






「……俺達を、アレクを、騙していたのか……?」






 責める響きのこもったその震える声に、アーシアは否定の言葉を持たず、ただ瞳を伏せることしか出来なかった。












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The future pivots on your decision. =「未来は君の決心で決まる」




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