第6章  The future pivots on your decision.








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 紀元前339年秋。
 ペラの王宮内は宴の準備でざわついていた。マケドニア国王フィリッポス二世の誕生日を祝う為に、大掛かりな宴が催されようとしていたからだ。

 その宴はかつてないほどの規模のもので、それは家臣達の、国王に対する御機嫌取りでもあった。

 ここ最近のフィリッポス二世の機嫌はすこぶる悪い。それは、先のアレクサンドロスの、マイドイ人討伐以来であった。
 アレクサンドロスの名声が上がった事が原因であるのは明白である。少数の兵で大軍のマイドイ人を討ち破ったと、国中で英雄の如く称えられるようになったからだ。フィリッポス二世は、親として子の勇敢さを褒め称えられる事の喜びよりも、国王として格下である王子の立場が強くなる事を煙たがった。セフェリス(アドニス)との一件が二人の仲に決定的な亀裂を与えたのは間違いないだろう。

 その事をアレクサンドロス自身も十分自覚していた。彼に父に対する叛意はない。なるべくフィリッポス二世を刺激せぬようにと、控えるようにしていた。





 さて、実は居心地が悪いのはアーシアも同じであった。

 彼女は、何故かフィリッポス二世の正妃オリュンピアスに嫌われているらしかった。その理由は誰にも分からない。分からないが故にとりなす事も出来ず、彼女は後宮の女性達から白い眼で見られていた。
 ことに、王宮で催される宴となれば、女達の艶やかな舞台となる。本領発揮とばかりに準備に余念のない女性達に、余計な波風をたてない為に今は王宮にいない方がいいだろう、とアーシアはヘファイスティオンの館へと行く事にした。

 途中、フィリッポス・アッリダイオスを見かける。素通りするのも失礼かと思い、一声挨拶だけでも、と声を掛けようと口を開きかけた。しかし、芸人風の男達と神妙な面持ちで話し込んでいる様子に、何となく声を掛けそびれてしまった。

 軽く会釈をして芸人達がフィリッポス・アッリダイオスから離れていく。
 溜め息を吐いて踵(きびす)を返した彼は、ようやくアーシアの存在に気が付いたようだった。ほんの一瞬眉根を寄せると、すぐにやや気弱な感じのする笑みをその口元に浮かべた。

「あ、あなたは確か……アーシアといったか」

 おどおどとした態度は誰が相手でも変らないようである。

「彼らは……?」
「父上の為に私が呼んだ異国の芸人達ですよ。少しでも父上のお気が紛れるようにと思ってね。最近の父上は……見ているのが辛いから……」
「アッリダイオス様……」

 憂いるように、フィリッポス・アッリダイオスの瞳が伏せられた。

「……何故、父上はアレクをあれ程疎まれるのだろう……?以前はあんなにも深く信頼されていたのに……何とか二人が仲直り出来るといいと思っているんです。この宴がきっかけになれば、と……私にはそれ位しか出来ないから……」

 自分を卑下するような言い方が気になったが、フィリッポス・アッリダイオスは心底から父と異母弟の不仲に心を痛めているように見られた。以前、クレイトスが彼の事を心の優しい人柄だと話してくれた事があったが、確かに頷けるものがあった。
 ただし、彼の優しさは気の弱さとも繋がっているようである。悪く言えば、軟弱と表現しても良いかもしれない。

 それでも、彼の優しさはアーシアには好ましく思われた。それは彼がアレクサンドロスを案じているからだろう。アレクサンドロスがアーシアの思考の基準なのである。

「アッリダイオス様のお心はきっと通じますよ」

 アーシアはそっと微笑んだ。

 彼女の微笑に慰められたのか、フィリッポス・アッリダイオスの方もぎこちないものではあるが笑みを浮かべた。そうして、彼はその場を去った。

 アーシアも再び歩き始めたが、彼女を呼び止める声が耳に届いた。

「アーシア」

 見れば、アレクサンドロスが小走りに近づいてくる。

「兄上と何を話していたんだ?」

 フィリッポス・アッリダイオスとアーシアの二人が話し合っている姿を見た時、アレクサンドロスは疑問を感じずにはいられなかった。この二人の共通の話題というものが思いつかなかったのだ。疑問、というよりは好奇心の方が近いかもしれない。

 しかし、アーシアの方は詰問されているような気分であった。後ろめたい事は何も無いのだが……。

「あなたの事を心配していらっしゃったのよ、アッリダイオス様は」

 それを聞いて、アレクサンドロスの表情が曇った。

「……兄上を不安にさせてしまって悪いとは思っている。兄上は優しい方だからな」

 そういえば、アレクサンドロスの兄二人に対する感情を聞いた事が無かった、と思う。あまり話題にものぼらなかったからかもしれないが。
 ここ数ヶ月を振り返ってみても、アレクサンドロスと彼らが打ち解けて寛(くつろ)いでいる姿を見た事が無かった。アレクサンドロスの方は親衛隊(ソマトフュラケス)の面々と一緒にいる事の方が多く、フィリッポス・アッリダイオスやラーイオスはそんな彼らに近寄ろうとはしなかった。

 だからといって、ラーイオスとフィリッポス・アッリダイオスが常に一緒にいるのかというと、そういう姿もほとんど見られなかった。彼らも、決して仲が良いという訳ではないらしい。

 本当に対称的な兄弟だと思う。皆、母親が異なるからかもしれないが。

 それにしても、あからさまに敵意を剥き出しにしているラーイオスについては分からないが、アレクサンドロスの話し振りからはアッリダイオスに対しては好意を抱いているように思われた。

「アレクは……アッリダイオス様を好きなのね」

 思いもがけない事を言われたのか、一瞬眼を瞠(みは)ったアレクサンドロスであったが、すぐに柔らかく微笑んだ。

「そうだな。彼は誠実で純粋な心の持ち主だ。信頼できる人間だ。出来るなら、俺の補佐をしてもらいたいと思っている」

 ヘファイスティオンら親衛隊(ソマトフュラケス)の皆とは別の意味で、アレクサンドロスにとって彼は大切な存在であった。もう一人の異母兄との確執がある為か、尚更強くそう思う。最も、ラーイオスから一方的な敵愾心を向けられているのであって、アレクサンドロス自身が彼を嫌っているわけではないのだが。

 後継者の地位を望んでいるラーイオス。彼がそれを諦めない限り、共に歩み寄る事など出来ないだろう。

 ……そのラーイオスは、今頃ほくそ笑んでいるはずだ。彼自身の口から、フィリッポス二世とアレクサンドロスの不仲を喜ぶ発言をアーシアは直に聞いていた。そのように思われている事をアレクサンドロスははなから承知しているだろうが、わざわざ話す事に躊躇(ためら)いがあった。

 それは彼に対し後ろめたさを感じているからでもあった。
 親子の間の溝を、修復不可能なまでに深めてしまった原因の一端であると、アーシアは自分を責めていた。

(……セフェリスの事が無ければ、こうまでこじれなかったはず……)

 セフェリスの変心についてはアーシアにも関わりがあるからだ。
 彼の気持ちに嘘はないだろうし、それが彼自身の為にもなると思う気持ちは変わらない。けれど。

 セフェリスを受け入れた事が、アレクサンドロスの立場を危うくした。
 だからこそ、今も迷っている。

(アレクの為を思えば、彼を受け入れるべきではなかったのかも……)

 もしまだ間に合うというのなら。今からでも遅くは無いというのなら。
 アレクサンドロスがそれを望むのなら、アーシアが迷いを断ち切るのは簡単であった。

 しかし。

「アーシアが心配する事は何も無いさ」

 彼女の心の内を読み取ったアレクサンドロスの言葉。
 そう、彼は決して先の考えを実行する事を望んではいなかった。彼自身も、セフェリスの決断に心を打たれていたからだ。

 彼の声に、アーシアを責める響きは微塵にも感じられなかった。それでも、そんな気遣いがアーシアには辛く感じた。

「でも……」
「これは父上と俺の問題だ。親子という血の繋がりが確かにあるんだ。いずれ父上も分かって下さると俺は信じている」

 信じようとしている、という方が正しいかもしれないが。

 そう言われてしまえば、もうアーシアには何も言えない。親と子の間にある繋がりというものを彼女は知らないからだ。

 不意に、アトレウスと自分の関係を振り返る。表向きは彼の娘ということにしているが、それが真実ではない事を知っている者は少なくとも人間の中にはいないだろう。

 話したとしても、きっと二人の間の繋がりを理解出来はしないだろうが。

 アトレウスは元気だろうか。彼の病み衰えた、しかし心の温かくなる笑顔が見たいとアーシアは思った。












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The future pivots on your decision. =「未来は君の決心で決まる」




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