第4章  A man cannot live without hope.








V









 アレクサンドロス率いるマケドニア軍が勝利と共に帰還したのは数日後のことであった。

 大広間で玉座に座すフィリッポス二世を前に戦勝の報告を行う。すでに国中にその勝利は広まっており、国民は皆口々にアレクサンドロスを褒め称えていた。息子の名声が高まったことは、今の国王には苦々しいことであった。けれど、表向きはにこやかな表情を崩さない。

「よくやったな、アレクサンドロスよ。見事な勝利だった」

 そして、さも得意そうに傍らにいるセフェリスを招き寄せる。

「やはりお前の言うことに間違いはなかったな、セフェリスよ。先見の明を持つ奴だ」

 実の息子が勝利したことよりも、寵愛する小姓の言葉通りの展開となったことの方を喜んでいる様子であった。今さらのことではあるけれど父の態度に胸を痛めるアレクサンドロスである。
 しかし、ふとセフェリスの姿を視界に収めて、感じる違和感に眉をひそめた。

 初対面時の生理的な嫌悪感が――――――今は感じられないのだ。

 彼の瞳だ。
 虚無を宿していた瞳が、今は何かの決意を秘めたものへと変わっているのだ。

 アレクサンドロスがそう気づいた途端、セフェリスは行動に出たのだった。

「……陛下、お願いがございます」
「何だ?何でも申してみよ」
「お傍を離れることを――――――お許しください。私はもう、陛下にお仕えすることが出来なくなりました」
「な、何だと!?どういうことだ!?」

 突然の申し出に、驚いたのはフィリッポス二世だけではなかった。その場に居並ぶ重臣達はおろか、アレクサンドロスでさえも驚愕して立ち尽くしてしまったのだ。

「主として一命を捧げたい御方を私は見つけてしまいました。それは……陛下ではないのです」
「な、何を言う!?ワシは許さんぞ、セフェリス!!」

 一国の王らしかぬうろたえ振りであった。

 しかし、セフェリスは国王の傍から離れて歩き出した。許しを請いながらも決して許可を必要としていなかった。それほどに強い決心なのだろう。
 彼は、アレクサンドロスの前に出ると、膝ま付いて頭を下げた。

「アレクサンドロス王子、今までの非礼をお詫びいたします。お怒りを収めることは出来ないでしょうが、出来ないでしょうが、王子にもお願い致したいことがあります」

 事の展開についていけず、アレクサンドロスは目を瞠ることしか出来なかった。

「セフェリス!己はワシよりもアレクサンドロスを選んだと言うのか!?許さん!ワシは決してお前を離さんぞ!!」

 セフェリスがアレクサンドロスの元へと行こうとしていると思い込み、フィリッポス二世は凄まじい形相でセフェリスの腕を掴んだ。そして、決して離すまいとするように華奢な少年の身体を揺さぶる。嫉妬に狂い、理性が失われてしまった様子であった。今の彼には何をどう言おうと、セフェリスを諦めることが出来ないのだろう。それ程の執着であった。

 その執着を断ち切る為にはどうしたらよいのか。

 セフェリスは考え、そして迷わず行動に出た。
 彼は広間に明るい光を灯している篝火の一つを手に掴むと、王が動く間も与えず、素早く彼はその火を――――――自らの右顔面に押し付けた。

「なっ……!?」

 驚愕とおののきと悲鳴が上がる。

 肉の焼ける臭いに吐き気が込み上げる。あまりのおぞましさに、王も思わずセフェリスから手を離してしまった。
 かなりの苦痛を味わっているはずであるが、セフェリスは呻き声の一つも上げなかった。じりじりと、彼の右顔が焼け爛れていく。

 セフェリスの手にしていた篝火が床に落ちた。

 彼の左半面が美しい為、なおさら右半面の無残な姿に誰もが声を失ってしまった。

「……陛下、このような顔でも私を愛でてくださいますか?」

 微笑する。

 だが、フィリッポス二世にはもはや醜悪なものとしか見えなかった。元々その容姿に心奪われていただけなのだ。

「……勝手にどこへでも行くがよい!」

 言い捨てると、彼は見るに耐えぬと目を背け、足早に立ち去った。

 その姿が見えなくなると、取り残されたセフェリスはがくりと膝をついて倒れこんだ。とっさに、正面にいたアレクサンドロスがその身体を受け止める。そして間近に見てその火傷の酷さに眉を顰めた。これでは痕は残るだろうし、もしかしたら右目も駄目になるかもしれないほどであった。

「誰か、医師を……!」

 医師を呼ぼうとした彼の腕を、セフェリスがギュッと掴んだ。アレクサンドロスに縋り、身を苛む苦痛に震えながら、それでも彼を見つめる片目の光はいまだ衰えてはいなかった。

「王子、お願いが……」
「喋るな!話は治療の後で……!」
「アレクサンドロス王子!!」

 今までのセフェリスからは想像もつかない、強い声だった。
 アレクサンドロスが息を詰めて見入ってしまうほどに。

「本当に……許されないことは分かっているのです。でも、私は……僕は、あの方のお役に立ちたい。償えと仰るのならば何でもします。ですから、どうか僕が……アーシア様にお仕えするのを、お許しください……」
「アーシアに……?」

 彼の願いはアレクサンドロスの予想をはるかに超えたものであった。アーシアとセフェリスとの接点が思い浮かばない。と言うことは、おそらくマイドイに遠征に行っていた間に何らかの関わりを持ったのだろうが、一体自分の留守の間に二人に何があったのだろうか?

「何故……?」
「……あの方の強さに魅かれたのです。アーシア様はご自分の信じるものの為に何ものにでも立ち向かい、自らの手で道を切り開いていかれる。迷いも苦しみもおありでしょうに、それらを乗り越えて戦っておられるのです……」

 それはアレクサンドロスも感じていることであった。彼女が何を思い、何の為に闘っているのかは窺い知ることは出来なかった。けれど、アーシアの決意は固く、彼女の言動に偽りはないのだ。アーシアに魅かれるという気持ちも理解できるような気がした。

「……僕は……与えられた運命を全て甘受してきました。己の自由になることは一つも無くて……それが当然なのだと諦めていました。でも、あの方にお会いして……僕も自分の為に生きてみたくなったのです。あの方のお力になりたいと……それが僕の願いなのです……」
「セフェリス……」

 その時、不意に視線を感じてアレクサンドロスは顔を上げた。

 その先にはクレオパトラがいた。彼女はじっとアレクサンドロスを――――――正確には彼の腕の中にいるセフェリスを見つめていた。今にも泣き出しそうな苦しげな表情で。

 そして、アレクサンドロスと見つめ合う。

 ……しかし、先に視線を逸らしたのは彼女の方であった。踵を返して走り去っていってしまう。

 アレクサンドロスは、かける言葉もなくただそのか細い後姿が小さくなるのを見つめることしか出来なかった。










 クレオパトラは居た堪れない気持ちになって逃げ出した。

 彼女はセフェリスを羨ましく思った。自分の心に従い、自由を手に入れたのだから。

(……私も同じ事をすれば……自由になれるのかしら……?)

 自由。
 それはクレオパトラの渇望。愛する人との幸せを手に入れる為に。

 フィリッポス二世から解放される為ならば、きっと何でも出来るはず。
 彼女の心を、強い引力を持つ誘惑が過ぎった。

 そして、視界に入る篝火の炎。

 ごくりと咽喉を慣らして手を伸ばして……しかし、それ以上手が動かなかった。自由と引き換えとはいえ、自分自身を傷つけるのはよほどの覚悟がなければ出来ない。ましてや、己の顔を焼くなんて……彼女にはそれを行う勇気はなかった。

(アレクサンドロス様……!)

 コバルトブルーの瞳から、雫のように涙が溢れ出てきた。

 自由が欲しい。そうしてアレクサンドロスの腕に抱かれたい。
 だけど、自分には行動に移す勇気がないのだ……。

 セフェリスはやってのけた。クレオパトラにはその心が羨ましくもあり……妬ましかった。











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A man cannot live without hope. =「人は希望無しには生きられない」




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