第4章  A man cannot live without hope.








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 マイドイから戻ったアーシアはほうっと大きな溜め息を吐いた。

 周囲に人がいないことを確認する。突然空間から人間が現れれば大騒ぎになってしまうだろう。
 彼女は引き千切ってしまったピアスの鎖を直して再び左耳に付けた。これは鍛冶の神ヘファイストスの手によって作られた物である。己が暴走しない為の重要な鍵であった。

 王宮内はまだざわついていた。国王の決定はあったが、だからといって平静ではいられないのだろう。重臣達が結論の出ない軍議をずっと繰り返しているのだ。

 と、突然、

「無礼者!」

 咎めだてする声がアーシアにかけられた。
 巫女風の衣装を纏っている妙齢の二人の女官がアーシアの前に立ち塞がっている。

「王妃様の御前に出て何をするつもりだえ!?」

 見ると、王妃オリュンピアスがそこにいた。池の畔に腰掛け、くつろいでいる。
 女官の声に気づき、オリュンピアスがこちらを見た。その眉目がわずかに歪められると、オリュンピアスは立ち上がり、無言のままアーシアに背を向け歩き出した。

 女官達が慌てて王妃の後を追った。すでに無礼な小娘の存在など忘れているようであった。

 しかし、一人だけその場に残った者がいた。

 少女だった。年の頃は14〜5歳ぐらいか、やや釣り目がちな暗緑色の瞳がアーシアを睨みつけていた。緩やかなウェーブを描く朱金の髪をポニーテールのように一つにまとめている。彼女の纏うキトンは上質そうで、決して身分の低い者ではないのだろう。

「オリュンピアス様はお前のことがお嫌いのようね。ことさら、お前のことを冷たくあしらわれてらっしゃる」

 それは少女に言われずとも、初対面の時からアーシアも気づいていた。初めて王宮にやって来た時に、アレクサンドロスから紹介されていたのだが。

 アトレウスの娘だと告げた時。
 その時のオリュンピアスの顔が忘れられない。

 オリュンピアスは美しかった。それなりの年齢ではあるのだが、熟女としての妖艶さを醸し出している。やはり面影はアレクサンドロスとよく似ていた。

 その美貌が激しい憎悪に染まるのを、確かにアーシアは見た。
 いや、感じたのだ。アーシアだけが。

 その理由はなんとなく察しがついた。アトレウスは何も言わなかったが、彼が関与しているのは間違いないだろう。だから、アーシアはオリュンピアスの憎悪を受けても苦笑するしかない。

「お前、お兄様に何の目的で近づいたの?女の癖に剣を振るうなんて、なんて野蛮な……!」

 この少女はアレクサンドロスの異母妹キュナネである。アーシアに対する嫌悪を彼女は隠すことなくぶつけてきた。しかし、キュナネが自分を嫌う理由については全く思い当たることがないアーシアは困惑した。一体、何故こうも嫌われるのだろうか……?

「何故、お兄様はこんな女を側に置くのかしら!信じられないわ!!」

 罵りにも何の反応も見せないアーシアに苛立ちが募ったのか、キュナネはくるりと踵を返して走り去っていった。

 一体なんだったのかと、呆然とするしかないアーシアに。

「あの方はアレクサンドロス王子を慕っておられるのです。ですから、王子のお側にいるあなたがお気に召さないのです」

 いつから見ていたのか、セフェリスが現れて声をかけてきた。
 アーシアは彼を見て、おや、と思う。
 何だろう?何かが以前とは違う?感じる違和感の正体は何なのだろうか。

「……アーシア様、とお呼びすればよろしいのでしょうか?」

 敢えて、今の呼び名で呼べばいいのかと問いかけてきている。
 つまり、彼は自分のことを知っているのだ、とアーシアは警戒を込めた視線を彼に送った。

「ご安心なさってください、今、僕の側にはアフロディーテ様の息のかかった者はおりません」

 アーシアの警戒を解こうとしている様子に、なおさら彼女は訝しんだ。
 では、彼は何の目的自分の前に現れたのであろうか。

「あなたに……お聞きしたいことがあります。プロメテウス様に仰ったことは、ご本心なのでしょうか?」
「……?」
「世界を滅びから救えるのはあなただと、プロメテウス様は仰いました。しかし、あなたは……迷いもなく拒絶なされた。教えてください。どうして迷わずにいられるのですか?重くのしかかる運命を、何故あなたはそうも簡単に跳ね除けることができるのですか?」

 セフェリスの、ひたむきな、何かを切望すような瞳。明らかに以前とは違う。
 そう、彼の目から感情が迸っているのだ。
 答えを得ようと必死になっている。

「運命に逆らうことが怖くないのですか?」
――――――私恐ろしいのは、己の信じるものを失い、何の目的もなく、運命に流されてただ存在するだけのものに成り下がることよ」
「……!!」

 アーシアの言葉に、セフェリスは目を瞠った。
 巍然たる瞳がセフェリスに向けられる。

「……私のこと、アフロディーテから聞いているのでしょう?以前の私は生きる意味も存在する理由も見出せず、自分自身を忌まわしく思っていたわ。でも、私は守るべきものを――――――生き続ける目的を見つけた。そのためにここにいるのだと思っている。もう運命や宿命なんてものに惑わされたりしない」

 生きる意味。存在する理由。
 それらを失うことと、見失うことは同義ではない。見失ったのなら再び探し出せばよいのだ。しかし、失いことは……永遠の闇路を彷徨うようなものであろう。ただ、生きているというだけに過ぎない。

「私は己の信じる道を進むだけ。それが運命に逆らうことでも、己の信念を曲げる気はないわ。……これで答えになるかしら」

 アーシアはくるりと背を向け立ち去ろうとした。その背に、セフェリスの呟きが届く。

「僕は…僕は……何の為に……」

 発する言葉が意味を為さない。彼の心は混乱し、嵐のように揺らいでいるのだ。その瞳はひたすらにアーシアを見つめ、救いを求めていた。

「……僕は……どうしたら……?」
「……あなたの進む道はあなた自身が見出さなければ意味を為さないのではなくて?自分が何を望んでいるのか、何を求めているのか、自分自身に問いなさい」

 その選択が決して正しいものではなくても。
 どれほどに悩み苦しもうとも。

 存在意義を見出せるのは自分だけなのだから。

 そうして、彼女は決して振り向くことなくセフェリスの視界から消えた。
 残されたセフェリスは呆然と立ち尽くすしかなかった。














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A man cannot live without hope. =「人は希望無しには生きられない」




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