――――もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば

      人間は全てとっくの昔に亡びていたであろう――――――





   『エピクロス』より







++++++++++++++++++++++

Undeniable Despair

++++++++++++++++++++++

序章-act.4












「おれとアシュヴィンのことを良く知っておくべきだったな。こいつを殺す正当な理由を作ってくれたお前には感謝したいぐらいだぜ」






 にやりと笑う、シャラ。






 ……が、ターラカに気づかれないように、自分に吹き飛ばされて倒れているアシュヴィンを視界の隅にさり気なく収めていた。

(……普通の人間ならとっくに絶命しているはずだが、アレで死なないと確信できる辺り、あいつも十分化け物だな)

 その化け物と対等に渡り合っている自分のことを棚にあげておいて、シャラは内心そう思う。

 予想に違わず、アシュヴィンはすぐにむくりと起き上がった。スムーズなその動きからはさほどにダメージを受けているようには見えない。

 ターラカに宣言した通り、シャラの内にアシュヴィンを殺すことへの躊躇いは一切存在しなかった。シャラに対して彼ほど人質に適さぬ人間はいないだろう。
 だが、さりとて彼の思い通りに事が進むのも癪に障った。

(賭けてみるか……)






 ――――――俺が奴を殺す方が先か、術を解く方が先か。






 シャラの脳裏には、自分の方が殺される、といった考えは全く存在していないらしい。

 紅夜叉を構えるアシュヴィンに向け、手をかざすシャラの長い髪がふわりと波打った。
 ぶつかり合う、無形の力。
 シャラの手から放たれた力の刃を紅夜叉が受け止めた。紅夜叉の刀身からもオーラ――――――妖気とも呼べるものがみなぎっていた。






 剣術師と魔術師では、一般的に言えば勝負にすらならない。圧倒的に魔術師の方が強いのだ。魔力を持たない剣術師では全く力が及ばない。

 しかし、魔剣術師は違う。

 魔剣は、そのほとばしる妖気でもって無形の力を生み出す。つまり、魔力では互角である。それに加えて、その素晴らしい剣技。肉体でもって戦う剣術師として訓練を受けていることもあり、剣にかけては全くの素人の魔術師よりも分があると言えた。

 その不利な戦いの中、さらにシャラは二つの力を使う。

 殺戮と、解放。






 ターラカも息を呑むほどの力の応酬だった。

 彼にとっては全くもって計算違いだった。まさか、本気で2人が戦い始めるとは思ってもいなかったのだ。そういった意味では、シャラの言葉通り、二人の相棒としての関係を理解できていなかったのだろう。

 ターラカは舌打ちする。この二人が戦い合っていも何にもならないのだ。彼の望む人物は蘇らない。

 自分の為に死なせてしまった、このかけがえのない人は、決して蘇らない。
 どんなことをしても取り戻すと、決意したのに。

 巫女の遺体を二人の戦いの余波から守りながら、ターラカの記憶は幸せだった過去を思い巡らせていた。
 自分がいて、あの方がいて、そして微笑んで……本当に幸せだった日々……。

(あの頃に戻りたい……戻してみせる、絶対に!)






 手の平に伝わる軽い衝撃に、ターラカはハッと我に返った。結界が揺れたようだった。

 しかし……この2人は只者ではない、とターラカは畏怖の思いと共にごくりと息を飲む。おそらく、塔でも一二を争う実力の持ち主なのではないか。まともに戦い合って勝てる相手とは決して思えなかった。

 ターラカの視線は、虚ろな表情のアシュヴィンが振るう魔剣に向けられた。
 世界に存在している数振りの魔剣の中でも、その強大さは術師の間ではずば抜けて有名であった。さすがは噂に聞く『紅夜叉』だ。あのシャラシャーインの力をまともに受け止めている。

 そして、対するシャラは……とターラカは彼を見た。そして、思う。

(……もう長くはもたないな)

 魔術師の目として見て、ターラカは断言した。このまま続けば間違いなくシャラが敗れる。力量は互角ではある――――――しかし、どう見てもハンデはシャラの方が大きいのだ。
 その証拠にシャラの息が上がってきている。その白磁のような額を冷たい汗が流れ落ちていた。平然とした表情をしてはいるが、その細く華奢な身体にかかる衝撃と負担に、本当ならば立っていることすら辛いはずである。何という精神力か。

 ……しかし、いつまでもその状態が続けられるはずがない。

 ターラカの予想に違わず、紅夜叉がシャラの肉を裂いた。左わき腹を押さえるシャラの手の隙間から、ぬるりと赤い血が流れ出していく。脈打つ鼓動に合わせるようにドクドクッと溢れ出てくる鮮血。おそらく腹部の大動脈が傷つけられたのだろう。

 しかし、シャラもただ切られただけでは済まさなかった。

 一拍の後、アシュヴィンの左前腕から霧状に血液が噴出した。紅夜叉を握る左手である。毛細血管を破裂させられたのだ。

「……やってくれんじゃねーか、ええ?」

 シャラはわき腹を押さえたまま、目を細めてアシュヴィンを睨みすえた。出血多量で顔面は蒼白である。意識が朦朧としていてもおかしくはないはずなのだが。

「ますますてめぇが大嫌いになりそうだぜ!!」

 シャラは血にまみれた右手を突き出した。
 同時に、アシュヴィンが紅夜叉を振り下ろした。






 激しい雷がアシュヴィンを撃ち。

 妖気の刃がシャラを襲った。






 アシュヴィンは、黒焦げにはならなかったが、さすがに苦悶の声を上げた。雷の衝撃に心臓が動きを停止したかもしれない。

 シャラは、左顔面から肩、胸にかけて、一直線に血が吹き出た。深い、傷だ。深すぎる。左眼球は破裂し、肩から胸にかけての傷は心臓に達していなければおかしいほどであった。






 そして……2人は同時に倒れた――――――






 ターラカはその結幕に息を呑んだ。
 同士討ち、その挙句の共倒れ。

 ターラカにとって、実のところ彼ら自身の死にはまったくもって興味がなかった。どのみち目的を果たした後には始末するつもりだったのだし、目的が果たせなければ元々別の魔術師を探すつもりでいたのだ。彼にとってはスタート地点に戻っただけのことであった。

 しかし、反魂の術を行える術者は数少ない。その貴重な術者をおびき出すのは中々容易なことではなかったから、そう考えるとシャラの死は痛手であった。

(俺では、ダメなのだ……あの方を蘇らせることは、俺の力では出来ない……)

 彼女を生き返らせるためならどんなことでもしてみせると、ターラカは強く思う。例え、世界中の人間全てが死に絶えようとも。

 その時。
 ターラカはわずかに身体を左に寄せた。何、と考えての行動ではない、無意識に体が動いただけである。






 ――――――結果、それがターラカの命を救った。






 彼の右側の空間を不可視の力が通り過ぎ、その先にあった柱が轟く爆裂音と共に粉々に砕け落ちたのだった。

「!?」

 振り向いたターラカの視界には、信じられぬ光景が映っていた。
 生ある者はターラカただ一人であるはずのこのカーリー女神の祭儀所で、しかし彼以外の人影が存在したからだ。

 驚愕に目を見開いたターラカの瞳に映ったのは――――――全身を朱に染めてうずくまっているシャラと、左胸を押さえながらも紅夜叉を構え、彼を庇うようにして立つアシュヴィンの姿であった。

「生きてる!?そんな馬鹿な……!!」

 満身創痍のシャラが、例え絶命していなかったとしても起き上がれるはずがない。
 心臓が止まったアシュヴィンが、再び鼓動を打ち始めたとしてもすぐに動けるはずがない。

 それなのに……!?

「死んでいなくて残念だったな」

 無表情に、それでも鋭い目を向けてアシュヴィンが口を開いた。
 驚いたことに、アシュヴィンにかけた術は解呪されていた。シャラが……為したのであろう。

 だが、そのシャラは今も息絶え絶えな様子だった。荒い呼吸音がターラカにまで届いてくる。かろうじて生きてはいるが……立ち上がることは絶対に不可能だろう。

「そんな身体でどうするつもりだ。起き上がらず死んだフリをしていれば、逃げることも出来たであろうに」

 それはターラカの強がりではなく、客観的な事実を述べていた。
 誰がどう見ても、同意見を主張するに決まっている。

 しかし。

「あいにくだが、私達はこの街の不可思議な出来事の原因を除去するように命じられた。原因がお前だというのなら、このまま見過ごすわけにはいかん」

 と、アシュヴィンは剣先をターラカに向ける。それでもターラカに怯む気配は見られない。

「命が惜しくはないのか?」
「そんなものを惜しんでいては、こんな職業はやってられんよ!」

 言葉が終わるよりも速くアシュヴィンは動いていた。決してかわすことは不可能ではないかという鋭さで、紅夜叉の刃がターラカに襲い掛かる。そう、真紅の刃はターラカの身体を二つに切り裂く――――――はずであったのだが。

 ……その切っ先が彼の身体に届く寸前、黒い影が二人の間に割り込み、紅夜叉を剣で受け止めたのだった。

「……!?」

 突如現れた人影に、アシュヴィンが眉をひそめる。はたしてどこに潜んでいたのか?たくましい体つきの壮年の男であるが、妙に気配が希薄であった。だから、彼の存在にアシュヴィンが気づけなかったのかもしれないが。ぎりぎりと押し合う剣越しにアシュヴィンと視線が交わる……が、その瞳は虚ろであった。

「……操られているのか!」

 精神を支配されているが故の気配の希薄さだったのかと、納得したアシュヴィンは妖気を感じて飛び退り、シャラの元へと一気に駆け寄った。そして、暗い空中から襲いかかってきた妖魔の牙が彼へと届くより速く、その妖魔を真っ二つに切り伏せた。

 そして、視線をターラカへと戻す。彼の周囲にはいつの間にか数人の男たちにより人垣が出来ていた。ターラカを守るようにして立つその男たちの瞳は、皆が一様に虚ろであった。

「なるほど……そういうことか」

 苦しげな息の下で、それでもシャラは笑った。それは確信の笑みだった。

「……そいつら、行方不明の術師達だろ?これで塔の調査結果が納得できるぞ」

 使い魔を従えているのは、操られている妖術師。やはり、一人の人間が魔術師と妖術師の資格を有し事を起こしていたのではなかった。根本的なことを見誤っているのではないか、というシャラの勘は当たっていたわけだ。

「わかったところで何が出来る!!」

 ターラカの声に男たちが反応した。操られている剣術師、妖術師達が一斉に二人に向かって襲い掛かってくる。

 シャラを庇いながら、アシュヴィンはそれらの攻撃を巧みに防いだ。
 結界さえも張れないシャラに、彼らの術の解除は無理だろう。術師達を正気に戻すことは期待出来ない。

「……悪く思うな!」

 アシュヴィンは紅夜叉を思い切り振り下ろした。
 頭部を割られ、息絶えた剣術師の体が重い音をたてて堅い石床に倒れこんだ。アシュヴィンの剣に迷いは見られなかった。ただ、己の任務を全うすることにのみ心を集中している。

 ターラカに操られた術者全てが石床に沈むまでに10分とかからなかった。

「さあ……」

 と、剣についた血を振り払い、アシュヴィンはターラカに向き直った。

「貴様の番だ」
「俺の邪魔はさせん!誰にも!!」

 ターラカの“気”により、彼の髪がゆらりと逆立った。

「あの方を蘇らせてみせる!邪魔する者は誰であろうと容赦はせん!!」
「死者を蘇らせてどうなるというのだ、愚かな」
「貴様らに何がわかる!!」

 咽喉を振り絞って叫ぶターラカ。その迫力に、一瞬アシュヴィンでさえも息を呑んだ。






「生まれながらにこの力があった俺は、実の母親からも疎まれた。化け物と呼ばれ、相手にされず……そんな俺を愛してくださったのはあの方だけだ!俺にはあの方がいればいい、その為なら、人類が滅びようと知ったことじゃない!貴様らなどに、生まれながらにして罪を背負った災いの子よ、と言われ続けた俺の気持ちなぞわかるものか!!」






 生まれながらに罪を背負った災いの子――――――






 その言葉に、アシュヴィンとシャラ、2人ともが反応した。

 2人共に厳しい表情で。
 顔を蒼ざめて。
 唇を噛み締める。






 張り詰める空気。いつ切れてもおかしくはない。

 しかし。






「……ざけんじゃねーよ」

 とシャラが静かに、しかしどこか硬い口調で、重苦しい空気の中、口を開いた。

「てめえの気持ちなんかわかるわけねーだろ。俺はてめえじゃないんだからな。てめえのような女々しい奴は悲劇の主人公ぶって、勝手に自己陶酔してろ!」
「何だと!?」
「何が生まれながらの罪だ!そんなもの、あるわけないだろ!!」






 シャラは、断定する。

 生まれながらの罪、そんなものは存在しない、と。






 アシュヴィンは、シャラの全身を青い炎が包んでいるような錯覚を受けた。
 そして、その炎の正体がすぐにわかった――――――怒りだ。激しい怒りが体の奥底から湧き上がり、彼の全身にみなぎっているのだ。

 アシュヴィンがシャラと出会ってから2年になる。しかしその間、子供のように怒ることはあっても、これほど激しく憤激する姿をシャラが見せるのは――――――アシュヴィンが見たのは初めてであった。

「頼んで生まれてきたわけでもないのに罪なんかあって堪るもんか!それじゃあ、その罪の子を産んだ奴は何も悪くないのかよ!?冗談じゃねえ!!」

 シャラの、ターラカに浴びせる怒声は、アシュヴィンにも返ってきていた。そして、おそらくはシャラ自身にも……。

 確実に自らの心に傷をつけるとわかっていても、言わずにはいられなかったのか。

「アシュヴィン!」

 シャラの呼びかけに、アシュヴィンは無言で頷いた。彼の意図は確かにアシュヴィンに伝わっていた。

「死人に執着しているから馬鹿馬鹿しい考えに囚われるんだ!今、俺達がその執着を断ってやる!!」

 彼の言葉が終わらないうちにアシュヴィンは駆け出していた。巫女の遺体に向かって。

「な、何をする!?」

 ターラカは巫女を守る為に結界を張ろうとした。






 ……しかし、それは間にあわなかった。シャラの両手の平の間に灯った炎と紅夜叉が同調する。アシュヴィンの手が完全に紅夜叉を振り下ろし――――――巫女の遺体が炎に包まれた。






「……!!!!」

 ターラカは、声にならない悲鳴をあげた。






 今の衝撃で神殿全体が揺れ始めた。二人の力は巫女のみならず、神殿をも巻き込んだのだった。頭上からぱらぱらと岩の欠片が降り注いでくる。天井や壁、そして床へと広がっていく亀裂――――――

「崩れる……!!」

 とっさにアシュヴィンはシャラの身体を抱きかかえ、瓦礫が降り注ぎ始めた神殿から脱出を図った。






 彼らが最後に見たのは、巫女の遺体を抱きしめ、自らも炎に包まれたターラカの最期の姿であった――――――










back  /  next






N-INDEX


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送