――――もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば

      人間は全てとっくの昔に亡びていたであろう――――――





   『エピクロス』より







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Undeniable Despair

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序章-act.5












 カーリー女神の祭儀所は、地下から完全に崩れ落ちた――――――






 砂塵が立ちのぼる祭儀所跡が良く見える小高い丘に、二つの人影があった。

 シャラとアシュヴィンだ。

 シャラは血に塗れたまま横たわっていた。瞼を閉じ、死人のように蒼白な顔色だが、生きている証拠にかすかに胸が上下している。
 対するアシュヴィンは、倒れるとまではいかずとも、紅夜叉を杖代わりにして片膝をついていた。さすがに一度止まった心臓に負担をかけた為か、汗の玉が額ににじみ出ていた。

「……つまりは……」

 アシュヴィンが瓦礫の山と化した祭儀所跡を見下ろしながら呟いた。

「巫女が己の立場もわきまえずにあの男を愛するという、街人にとっては裏切り同然の行為が彼らの怒りを買い、巫女の虐殺へと繋がったのか」
「……下手したらもっと自分勝手だったかもしんねーぞ。例えば……男と街から逃げ出そうとした、とか……」
「……何にせよ、あれではターラカは生きてはいまい。任務は完了だな」

 任務完了という言葉を聞いて、シャラは気が抜けたようにぐったりとした。

「………………俺はもう、金輪際てめーとは組まねーぞ」
「酷い目にあったのはお互い様だ」
「俺の方が絶対に重労働しているぞ……ったく!もう少しで本当に死ぬところだったし!」
「お互い様と言ったろう。私だとて一度心臓の動きが止まった」
「そもそも、てめーが奴の術にかかったのがいけなかったんだよ!」
「貴様を殺したいという願望を突かれたのかもしれんな」
「………………」
「………………」

 気まずい沈黙。
 そして、お互いが同時に溜め息を吐いた。

 アシュヴィンが、シャラを見てふと気づいたように、

「その顔の傷は綺麗に治しておけよ」

 と言った。
 数瞬、シャラは考え込む。そして、憮然として吐き捨てた。

「……どーせ女長が俺の顔を気に入っているからとか言うんだろ」
「いや……私もお前の顔だけは観賞という意味では結構気に入っているからな」

 それを聞いて、シャラはしばらく開いた口が塞がらなかった。己の耳が聞き取った言葉が信じられず、幻聴ではないかと疑ってしまったからだ。そう、決してアシュヴィンの口からは発せられないはずの言葉であるのに。

 きっと、今の自分はとても間の抜けたような表情をしているに違いない。アシュヴィンがシャラを見てからそっぽを向いてしまったから、間違いはないとシャラは思った。

 アシュヴィンも、口では悪口雑言を言いながらも、多少の責任は感じているのだろう。だからフォローの意味も込めて言ったに違いないが、どうにもずれを感じてしまうのはシャラの錯覚ではないはずだ。驚愕に表情が取り繕えなくなってしまうのは仕方がないだろう、と己に無理矢理納得させるシャラである。

 第一、顔だけとはどういう意味だ!?と突っ込みたい気持ちもあったのだが、それを言ってしまえば返ってくる皮肉の内容などわかりきっているし、こんな時に更なる皮肉の応酬をしても不毛でしかないのだろう。だから、シャラは口をつぐむことを選択した。ある意味懸命な判断だと言えるかもしれない。

 思えば、嫌いだの何だのと言ってお互い近づこうとしないのは、同じ極の磁石が反発しあうようなモノで、ある種の同属嫌悪と言えるのかもしれない。
 外見や正確は全くの正反対の2人だが、どこか似ていると互いに感じている。
 それが何なのかと明確に言葉で言い表すことは出来ないし、明らかにしたいとは思わないのだろう。鏡に映った自分自身を見ているようで、反発を感じてしまうのだ。最も、ただ単に相手が自分に似ていると認めたくなかっただけなのかもしれないが。






 しかし、いつまでも真実から目を背けてはいられない。

 彼らはやがて自分達の相似を、そしてその理由を知ることになる。
 そして、それは彼らが真実に直面しなければならない時であった。
















 ぽかぽかと暖かい陽気の中、シャラは魔道宮の裏庭でいつものごとくごろんと横たわっていた。
 任務完了して一週間。
 ようやく件の男の顔を見なくても良くなったので本当に清々したと、彼はすこぶる機嫌が良かった。

 身体中にあった傷は全て治した。
 ……と言っても、完治とまではいかなかったが。
 魔剣『紅夜叉』によって傷つけられた左眼――――――傷は完全に塞がったが、光を取り戻すことは不可能になってしまった。

 いわゆる、失明。

 しかし、シャラはさほどショックを受けていなかった。魔剣の傷が塞がっただけでも良かっただろう。仕方あるまい、とさばさばと割り切っている。
 とりあえず日常生活には支障がないし(さすがに最初は遠近感がつかめなくてふらついていたのだが、慣れてしまえば何ともなかった)、仕事にも差支えがあるとは思えなかった。だから、アシュヴィンには何も言ってはいなかった。
 奴に弱みを見せてたまるか、というシャラの意地もあるのだが、何より、仕事でも嫌なのにそれ以外で彼の顔を見るなんてもってのほかだ、と考えているらしかった。

 最も、仕事に出る前に女長に誓約書を書かせたから、もう二度とあの男に会うこともないだろう。だからシャラは上機嫌で、心地よさげに昼寝をしているのだった。

 ――――――が、うとうととまどろむシャラの腹部に生じた圧迫感と痛みに、シャラは覚醒を余儀なくさせられた。

「ってー!!」

 ズキズキと痛む腹を抱えながら、何か前にもこんなことがあったような……と既知感にシャラは首を傾げる。そして、顔を上げてみれば……やはり既知感を感じる顔がそこにあるではないか。

「ご……ごめんなさい!まさか、また寝転がっているなんて思わなくて……!!」

 リトゥパルナだ。うろたえまくってひたすらに恐縮している。

 なるほど、とシャラは既知感の正体を悟った。彼女の物言いからすると、シャラの腹部を彼女の足がまたもや思いっきり踏みつけたのだろう。彼女にしてみれば、まさか二度もシャラを踏んでしまうとは思ってもいなかったのだろうが、シャラにしても、まさか二度も彼女に踏まれてしまうとは思っていなかったのだ。

 また寝転がっていて悪かったな、そう口に出そうとして、しかしシャラは今度は違和感を感じた。

(何か、以前と言葉使いが違うぞ?)

 気のせいかな、とも思って、

「何だ、またサボりか?」

 とわざと言ってみた。挑発のようなそれに、以前の少女ならばつんざめくような声を上げて怒りだしただろう。
 ……が、目の前の少女は頬を朱色に染めて口ごもったのだ。

「ち、違います、今日はあなたを探しに来たんです……今は、休憩時間ですから……」

 何やら以前とは違う様子に、シャラは首を傾げてしまう。

「俺を探しに?何で?」
「あ、あの……この間のこと、お詫びしようと思って……」
「この間?」
「も……申し訳ありませんでした!あなたがあのシャラ様だなんて知らなかったものですから、恐れ多くも踏みつけてしまって……しかも、失礼なことを言ってしまって……ご無礼をお許しください……!!」

 ひたすらに少女は頭を下げる。

「いや、あの、別に……俺は全然気にしてないから……」

 そうまで下手に出られるとシャラの方も恐縮してしまう。はっきり言って、そんなことがあったことすらシャラの記憶からは消えかけていたのだから。

「え……と、名前、なんてったっけ?」
「リトゥです。リトゥパルナです」

 真っ直ぐな眼で相手を見詰め返す少女。
 シャラは思う。素直で明るくて、真っ直ぐに育った少女なのだと。おそらく周囲には愛情が溢れかえっていたのだろう。






 ――――――自分とは、正反対だ。






 だからといって、シャラは彼女に対する羨望を覚えたわけではなかった。自分がこんな風に育てられていたら、と思うこともない。

 与えられた環境、過ぎてしまった過去を羨んでも何にもならない。

 今、ここに自分がいる。
 シャラにはそれが全てであった。






「あ、そういえば、ユディシュティラ様もシャラ様のことをお探しでしたよ」
「女長が?」

 リトゥの言葉に、シャラはあからさまに不振の表情を浮かべた。

(……嫌な予感がする……)














 そして、その嫌な予感は当たった。
 しぶしぶ女長の業務室の扉を開いて室内へと入ったシャラは、先客を認めた途端、心底嫌そうに表情を歪めた。それは相手も同様だったのだが。

「……これはどういうことですか?ユディシュティラ様?」

 アシュヴィンが、わざと抑えた声で上司に詰問する。その声に非難の色が含まれているのは誰が聞いても明らかだった。

 しかし、彼女は悪びれもせずににこりと笑う。

「もちろん、仕事の依頼です」

 そんな人畜無害そうな笑顔に何度も騙されるほどシャラもアシュヴィンも学習能力がないわけではない。二人がそろって呼び出されて、そして仕事の依頼なんて、二度とあるはずのないことであったのに。

「ちょっと待った!二度とこいつとは組ませないってうー契約書があるじゃないですか!!」
「契約書?何のこと?」

 そらっとぼけるユディシュティラに。
 二人そろって紙片――――――もちろん、契約書である――――――をバンッと彼女の机の上に勢いよく叩きつけた。そんなものをいつも身につけているところが2人ならではである。

「現物はここにあるんですよ。それでもシラをきるんですか?」

 ユディシュティラは、彼女にしては珍しく深い溜め息をついた。そして、おもむろに懐からタバコを取り出すと、火をつけて無言のままの唇に咥える。ようやく観念したかと、少しばかり勝利感を味わったシャラとアシュヴィンだが。

 白い煙をいかにも気だるそうに吐き出したユディシュティラは。
 ――――――いかにも手が滑った、という仕種で、火のついたタバコをその指から落としてしまった。






 そして、タバコの落ちた先には――――――






「あ――――――っ!!??」






 ……なんと、2人の契約書がメラメラと燃え出したではないか。

 さすがのシャラもアシュヴィンも、全身を硬直させて絶句してしまった。まさか、このような手でくるとは思いもしなかった二人であった。

 机が焦げるのにも構わず、女長は石像と化してしまった二人に向かって、友好的に笑いかけた。

「契約書なんてものがどこにあるんですか?」

 女長に勝とうなんて、まだまだ百年も早かった。上機嫌なユディシュティラの前で、二人は地獄の坂をまっ逆様に転げ落ちてしまったかのような気分に陥った。

 今日の敗北は明日の勝利。次こそは!と希望を抱く二人に、はたして明るい未来が待っているのかどうかは定かではない。






 ともあれ、こうして塔での生活は続いていくのだった――――――


















序章:終




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