第5章 |
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源頼朝が伊豆で挙兵した翌年の養和元年(1181)――――――平清盛が死去した年でもあるが――――――この年の日本は全国的に大飢饉に見舞われた。 食物は不足し、生活は貧困となり荒んでいく。餓死者も多数出て、京の都でも強盗が横行し治安は乱れた。 食料や物資の不足で、この1年間は小競り合い程度の衝突はともかく、大きな戦は行われなかった。出来なかった、と言ってもいい。 だからと言って、平穏だったわけでもない。 平氏に対する不満は、徐々に高まりつつあった。嵐の前の静けさと言うのだろうか。爆発する手前まで来ていると言う感じである。大きな戦がなく、不満のはけ口がないことで、余計に人々の内に平家に対する憎しみが募っていった。 そして、寿永元年(1182)9月に、横田河原の戦いにて、頼朝の従兄弟に当たる木曾義仲が越後国府の守護の城長茂を打ち破った。 再び、源平の争いが始まったのである。 足を引きずる敦盛は、関東・武蔵国から京に戻るまでに一月以上も費やしてしまった。 道中、横田河原の合戦の詳しい経過は聞いていた。そして、都に辿り着いた彼を待っていたのは、さらなる敗戦の報であった。 「経正兄上と通盛が敗れた……!?」 亡き清盛の弟であり、敦盛の父である経盛との再会の感動も冷めやらぬ内のことであった。 しかも、平家の将として参戦したのは、彼の一番上の兄・経正と、従兄弟に当たる通盛だということで、二重のショックを受けてしまった。 彼らを破ったのは、またしても木曾義仲である。 横田河原の敗戦の後、義仲の台頭を危ぶむ声が平家内で高まり、追討の兵を挙げることとなった。大将として選ばれたのが、平経正と平通盛。二人とも、清盛に近しい位置を持つ、生粋の桓武平家の者である。 彼らは兵を率いて北陸へ向かい、木曾義仲の軍と越前水津の地にて衝突。 しかも。 経正も通盛も、平家きっての勇将と知られているが、戦上手の義仲にはかなわず、敗北を喫することとなってしまったのだ。 「では、義仲の兵は京へ向けて進軍してくるのですか?」 もしそうなれば、棟梁の宗盛は都を捨てることも考えていると聞いている。恐れていたことが起きてしまうのだろうか。 「いや、すぐにどうこうと言うことはなかろうよ」 「?何故です?」 「源氏は一枚岩ではないのだよ」 「……?」 父の言葉が理解できない敦盛は首を傾げる。 そんな息子を、経盛はいとおしそうに眺めた。 「義仲が京へ進軍してくれば、鎌倉の頼朝が黙ってはいまい」 「よく分かりません。同じ源氏の一族ではないですか」 敦盛が理解できないのも仕方がないのかもしれなかった。平家は、少なくとも平の姓を持つ一族の結束は固い。棟梁を頂点として、皆が平家の繁栄を祈っている。そんな中で敦盛は育ってきたのだから。 源氏は違う。 源氏は今、二つの勢力に分かれている。 頼朝と義仲。 従兄弟同士である二人。血筋の問題からいけば、棟梁は頼朝である。 しかし、今の時点では勢力の点から言えば、義仲の方が勝っていた。これだけなら、義仲が頼朝の下で収まることの出来る人間ならば問題はなかっただろう。 しかし、義仲という男は、自分が人の下に立つことを良しと出来ない男であった。 つまり、頂点に立たなければ気がすまないのだ。 頼朝にしてみれば嫡流は自分なのだから自分に従えと言いたいところである。しかし、全体の力は向こうの方が上なので強くは言えない。 義仲にしてみれば、自分の方が力があるのに何故従わなければならないのか、という気持ちが強い。血筋などくそ食らえ、というやつである。 このような二人なので、どちらかが下に収まることなどないだろう。 つまり、同じ源氏の一族であっても、敵同士であるのだ。 義仲としては、平家を破った勢いで都へと軍を進めたい。しかし、迂闊に攻めては頼朝に背後を襲われることも予測される。 これが、経盛が『すぐには攻めてこない』といった理由である。 しかし、まだ政治の駆け引きというものを知らない敦盛には、説明されても理解に苦しむことだったらしい。 曖昧な返事をしてしきりに首を捻っている敦盛に溜息をついて、経盛は参内を促した。 「経正が戻って棟梁に謁見するらしい。お前も来なさい」 官位は無いとはいえ、従五位下の位を持っている敦盛である。殿上は許されていた。 三位以上の位を持つものを参議といい、朝議のほとんどを彼らが決裁していた。その参議は、主に平家の者が占めている。朝議とは言っても、要は平家の専横である。朝廷が一族の談義の間になっていた。 父の後ろをついて執務の間に来た敦盛は、すでに経正と通盛が座している姿を見た。彼よりも早く戻っていたらしい。 久方振りに会う長兄の懐かしい後姿に声を掛けようとした敦盛は、しかし漂う緊迫した空気に言葉を飲み込んだ。 「木曾の田舎侍ごときに敗れた面を、おめおめと晒しに来たか」 一番の上座にいるのが、棟梁である宗盛。 その冷たい台詞は、彼の口から紡ぎ出されていた。 「お前たちが食い止められなかったせいで、彼らがこの都に攻め上ってくるやもしれぬ。全ては、不甲斐無いお前達のせいだ!」 宗盛からは罵倒の声しか聞こえない。経正と通盛は、屈辱に震えながらも黙って頭を下げていた。負けたことは事実だ。申し開きもできない。 けれど、そのあまりの言い様に、敦盛は苛立った。 (兄上達を責めたって何にもならないじゃないか。兄上達に任せる裁可を下したのは棟梁のくせに。そんなに不満があるのなら自分が行けばよかったのに) 宗盛にそんな勇気がないと承知で、そう思う。 命の危険を冒して戦場に立ったのは宗盛ではない。敵地を実際に通ってきた敦盛だからわかることであるが、あの生死を賭けた緊張感を、彼は知らないのに。 好きで負けたわけではない。彼らとて、精一杯のことはしたのだ。 それで敗れたというのなら、仕方のないことだと思う。 もちろん、負け戦を仕方のないことで済ましてしまうことには抵抗がある。 けれど、起こってしまった事実を変えることは出来ない。今はこれからのことを話し合う方が大事だというのに。過去の失敗を詰ったところで何の意味もないのに。 (何故、そんなことすら分からないんだ) (何故、誰もそのことを指摘しないんだ) (そんな簡単なことすら気づかない男が、我らの棟梁だなんて……) しかし、敦盛は最後まで何も意見を口にすることはなかった。 心の中では好き勝手に思っている。不甲斐無いのは棟梁の方だろう、と不敬なことを考えているのに。 (……私は、そんな意見を言える立場ではない……) 敦盛と宗盛は従兄弟という間柄である。 しかし。 かたや、一族の棟梁。そして自分は、官位もなく位もはるかに及ばない下っ端で、決して対等の口など聞けるはずがないのだ。たとえ自分が正しいと思っていても。 何も、言うことはできない……。 それは、他の者も同じであるはずだ。だからこそ、誰も宗盛の過ちを指摘できない。 平家は武家の家柄である。武家の棟梁というのは一族を束ねる最高責任者であり、最多の権限を持っているのだ。彼の機嫌を損ねるだけでその者は栄達の道を断たれるようなものなのである。その棟梁を非難する言葉など、言えるはずがない。 勇気がないのは自分も同じだ。 肩を震わし屈辱に耐えている兄達の背を見つめて、済まなさで一杯になる。こんな風に一方的に責められる兄を見たくないのに、結局は自分が可愛くて何も言えない。罰されるのを恐れている。 罪悪感に押し潰されそうな敦盛の耳に、ようやく弁護の声が届いた。 「通盛達に責を追うてもらうは決まりとしても、今後のことも決めねばなりませぬぞ、棟梁」 やんわりと、宗盛の態度を責めることはせず――――――これは宗盛の態度を容認しているのではなく、ただ単に彼の非を責めればさらに宗盛は怒り狂って、この場を混乱させるだけで話が進まないからであろう――――――しかし、大切なことに目を向けさせようと口を挟んだのは、宗盛の弟で権中納言平知盛であった。 「まさか、義仲が攻め上ってくるのをみすみすと指を咥えて見ているわけにはいきますまい」 「そ、そうだ。もし義仲が攻めてきたら……父のように、やはり都を移すしかあるまい」 清盛が、ほんの一時ではあるが福原に都を移したことを言っているのである。 だが、それが本当に最良の策なのだろうか。敦盛には疑問が浮かぶ。 都を移したところで義仲は追ってくるだろう。彼らが目的としているのは京という地ではなく、都という政権の象徴である。ただの時間稼ぎの逃避としか思えてならない。 そうではなくて、逃げることより食い止めることを考えなくてはいけないのではないだろうか。 同じことを、やはり俊英な知盛は考えているらしい。決して強い口調ではないが、はっきりとその案を退けた。 「いえ、都を移しても一時凌ぎでしょう。それよりも、義仲が都に攻めてこられないようにすれば良いのです」 「で、出来るのか?そんなことが……」 「源氏は一枚岩ではありませんから」 経盛と同じことを、知盛は言った。 「義仲には頼朝の相手をしていてもらいましょう。源氏同士で潰し合わせるのです。どちらが勝っても良し、勝てた方も決して無傷ではありますまい。弱ったところを我らが撃てばいいこと」 「源氏同士で?そう上手くいくかのう……」 「大丈夫でしょう。義仲と頼朝は、決して手を結ぶことなど出来ませぬ。保元の戦の折では、彼らの父は兄弟でも敵同士。義仲は、父を頼朝の兄に討たれているとか。いわば父の敵でありますから」 「な、なるほど」 知盛の提案に、宗盛は関心して頷いた。 彼の気が逸れたうちに、知盛は目配せをして、経正と通盛を下がらせた。 二人は知盛に感謝をしながら、そっと退室する。 敦盛は、父を残して兄の後姿を追った。 |
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