落日の彼方







第1章











(痛い……足が、痛い)

 どうしてこんなに痛いんだろう?熱を持っているみたいで、ジンジンと熱くて……痛い。
 足が、動かない。

――――――……道中気をつけるのだぞ。

(はい、父上)

――――――東国は荒ぶる坂東武者のいる地。くれぐれも、無茶はせぬように。

(わかっております。私の務めは、下野の地の佐竹秀義に密書を届けること。決して、源氏に悟られないように致します)

 繰り返し、繰り返した約束。
 父の心配そうな顔が今も瞼にちらついている。

 自分だとて武家の子であるのだから、むざむざと捕われるつもりはないが、さりとてまだ子供であることも自覚しているので無理をしようとは思わない。出来ることから行うしかないのに。少しずつしか、自分という人間を認めてもらうことは出来ないとわかっているから。

 だから、自分から志願したのだ。敵地に近い下野まで、共も連れずに忍びで向かうという危険を会えて承知で。

 そして……それは果たせた。中身は知らないが、一族の棟梁からの密書を、確かに秀義に手渡した。
 後は父の待つ都へと帰るばかりだったのに……一体、どうしてしまったのだろう?

 何が、起こった……?







「ああ、気がついたみたいだな」







 見知らぬ声が耳に届く。
 思いもかけず近い距離からの声に、少年は驚いて飛び跳ねるように身を起こした。

 途端、脚から体幹へと走った電流のような痛み。

「っ……!」
「無茶するなよ。足を挫いてるんだからな、痛いのは当たり前だ。見てみろよ、見事な腫れ方だぞ」

 見ると、声の通り、彼の右足には白い布が巻かれていたが、尋常でないほど赤く腫れ上がっている。
 見事な腫れ方……というのがどんな腫れ方なのか、表現方法として理解に苦しむところではあったが、確かに見事としか言いようがないのかもしれない。外傷は見当たらないが、足首の太さは普段の倍は軽くあった。くるぶしが見分けられなくなっているくらいだ。

 道理で、こんなにも痛かったわけだ。

「まあ、命があっただけでも儲けたな。あんな崖から落ちたら、普通は命を落とすぞ。現に、君の乗っていた馬は首の骨が折れていたからな」

(……思い出した)

 相模からの帰り道。敵方の警戒が厳しいことから、迂回する為に武蔵の国に入ったのだった。
 その山道で、緩かった地盤に馬の足をとられて……崖下へと、落ちた。

 落下する時の浮遊感を思い出し、ぞっとする。運が悪ければ馬と同じ運命だったのだ。

 必ず無事に帰る、との父との約束を破ってしまうところだった。親不孝者にならずに済み、父の安心する顔を脳裏に浮かべホッとする。

『くれぐれも、無茶はせぬように』

 その時になって、声の主は誰だろうと思い至り、少年は顔をあげた。父と同じ台詞だったのだと、今にして気づく。

 傍らに座していたのは、少年――――――しかし、もうすぐ青年に域へと届こうかとする年齢だろうか。
 鍛えられた逞しい身体つき、大人びた物腰。そして、笑うと妙に人懐っこく感じる黒々とした瞳。目を奪われるようだった。

「……貴方が、助けてくださったのですか?ご迷惑をお掛けしまして、申し訳ありません」
「何、通りがかっただけさ。倒れている人間を見つけて知らぬ振りをするほど薄情には出来てないからな」
「本当にありがとうございました」

 頭を下げた少年の視界に入ったのは、彼の帯に結わえられている、刀。







 彼は、武士だ。







 一瞬にして緊張感が湧き上がる。武蔵国は敵方の勢力が多い。
 この国で武士といえば、すなわち……源氏だろう。彼も、そうなのだ。

 幸いというべきか、今の自分は身分を明かすものは何もつけていなかった。刀さえも、危険を呼ぶといけないので持たなかった。服装も、常に身につける絹は避け、全てが綿織物だ。
 怪しまれることはない、はず。

 足を挫いて身動きも取れず、武器もない現状では正体がばれるのは得策ではない。
 そう計算して、何も気づかない振りをすることにした。
 再び顔を上げた時には、笑顔を絶やさないようにして。

「何の御礼も出来ませんが、これ以上ご迷惑をかける訳にもいきません。勝手を言うようで申し訳ないのですが、これでお暇させていただきます」
「その足で動けるのか?」
「え……あの……」

 はっきり言って、ほんの数寸動かすだけでも激痛が走る。動くのは無理かも……知れない……。

 しかし、これ以上敵の厄介になるわけにはいかなかった。自分の正体がばれる前に逃げ出したいという気持ちもある。

「何とか……します」
「何とかできるわけないだろ。急ぎの用事があるかもしれないが、そんな状態では無理だな。その腫れ方ではこれから高い熱も出るはずだ。今動くなんて死にに行くようなものだ」
「し、しかし……」

 現状を正確に把握している彼の声には戸惑いもなく、かえって立場の弱い少年の声はだんだんと小さくなっていった。

「それでは、貴方にご迷惑が……」
「今さら迷惑も何もないさ。ここで見捨てた方が余程寝覚めが悪いからな。拾った責任は最後まできちんととらないと」
「ひ、拾った……?」

 た、確かに、この場合拾われたと言うことも出来るが……。

「俺の名は小次郎。君は?」
「あ……、い、いえ。さ、三郎と、いいます……」

 つられて本名を言いそうになってしまい、慌ててしまう。
 自分がそんなに有名人であるとは思わないが、念のために本名を名乗るのは避けた方がいいと判断してのことであった。

「三郎か、よろしくな」

 にこりと笑う小次郎。
 その笑顔があまりにも優しくて、妙に心惹かれるものがあった。

 名前すら明かせない自分を振り返り、彼を騙しているのだと胸が痛む。

 三郎という名は、ある意味では嘘ではないぞ、三男なのだから……と、自分に言い訳が必要であった……。









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