第4章  A man cannot live without hope.








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 歴史上、アレクサンドロス大王は生涯の大半を戦争に費やしている。二十度以上の戦争を行ったとされている彼の、記録として最初に記された戦争はトラキアのマイドイへの遠征であった。





 マイドイ人は小規模な民族ながらしばしば越境し、マケドニアの国土を荒らしまわっていた。トラキア遠征の第一歩として皆を納得させるには十分な根拠であった。

 しかし、命ぜられたアレクサンドロス自身は、素直に頷くことが出来なかった。

 マケドニアの敵はトラキアだけではない。特に、ギリシア国内でも強大な力を持つアテナイやテーバイが反マケドニアの動きを見せ始めている時でもある。不用意に動くべきではないと考えていた。

 だが、勅命とあらば致し方ない。従わねば反逆ととられてしまう。

 ならば、マイドイ人の討伐を逆に利用すればいい。アテナイやテーバイが行動に移す暇も与えず、マイドイを迅速に叩く。それも、徹底的に。マケドニア軍の強さを見せ付けることで諸外国への牽制にするのだ。

 マイドイ人との戦を決意したアレクサンドロスは、その後の行動は素早かった。父王から五百の兵を与えられた彼は、軍の編成計画にすぐさま取り掛かった。
 しかし、ここで問題が持ち上がったのだ。

「兵五百を全て騎兵にするとは、一体どういうことです!?」

 副将パルメニオン将軍が噛み付いてきた。

「父上は兵五百と言われただけだ。それをどう編成するかは俺に任されているんだ。別にいいだろう」
「そのようなことを言っているのではありませんぞ!騎兵だけで戦など出来ると思っておられるのか!?」

 この時代のギリシアでは、どの国・都市でも戦闘の主力は歩兵であった。重装歩兵<ホプリテス>という、長さ1メートル強の突き槍と大きな盾を持つ歩兵が密集陣形を組んで互いにぶつかり合う、それが常識であった。貴族などが戦場まで騎馬に乗ってくることもあるが、それでも戦時は馬を降り歩兵として戦うのだ。
 つまり、このアレクサンドロスの提案は、当時では全くの荒唐無稽なものであったのである。

 知恵者のアステリオンも、これには渋面を作った。

「パルメニオン将軍の仰る通りだ、騎兵だけでは敵の槍の餌食になるだけだぞ!」
「まあ落ち着け。マイドイの地理をよく考えろ。あそこは山地だ。平野ならともかく、高低の激しい地では重装歩兵では身動きが取れない」
「それは向こうも同じだろうが!俺はかねてから訓練している長槍部隊を配備した方がいいと思う。実践で長槍<サリッサ>が通用するかどうか試すいい機会だ」

 何とかアレクサンドロスの意見を変えようと言い募るアステリオンだが、その目的はどうやら果たされそうにはなかった。

「あれは重過ぎる。それこそ山地での戦いには不向きだ」

 長槍<サリッサ>とはマケドニアが独自で開発している武器である。
 先に、歩兵は1メートル強のやりで戦う、と述べたが、マケドニアではそれを改良し、最終的には全長5.5メートルの長い槍が武器として用いられることになるのだ。翌年の有名なカイロネイアの戦いではこの長槍を用いた重装歩兵戦術で、マケドニアは大勝利をあげることになる。従来の槍より長い分、敵の歩兵よりも槍の届く範囲がはるかに広がり攻撃力が上がったのであった。
 ただし、長い分欠点もある。重量がかなりあるので両手でなければ支えられず、動きを制限されてしまうのだ。

「別に俺は重装歩兵を否定しているわけじゃない。だが、有効に使えなければ意味がないだろう?」

 アレクサンドロスの説得で、アステリオンはともかくパルメニオン将軍は最後まで渋ったが、何とか軍の編隊を済ませることが出来た。

 そんな将軍を横目に、アレクサンドロスはヘファイスティオンに囁きかける。

「……実はアーシアも連れて行きたいと言ったら、将軍はうんと言うと思うか?」
「……言うと思うか?」
「…………言ったら奇跡だな……」

 さすがは親友、というところか。息のあった会話であった。

 アーシアに対するわだかまりについてはすでにアレクサンドロスの脳裏には無いようであった。元々根に持つタイプではないので、一度思い切ってしまえばその後もずるずると尾を引くことをしないアレクサンドロスだ。どうやら吹っ切ることが出来たらしい。

 彼女を戦力として当てにしている、というわけではないが、信頼できる貴重な人材だ。出来れば側にいて欲しかったのだが。
 ふうっと大きな溜息を吐く。

「……仕方がない。今回はクレイトスと一緒にペラに残ってもらおう」

 マイドイとの決着を急がねばならないのだ。パルメニオン将軍をさらに説得する時間はアレクサンドロスには無かった。





 そうして慌しく出陣したアレクサンドロスたちである。
 しかし、マイドイの軍勢を前にして、更なる問題が持ち上がった。

「敵は二千だと!?」

 斥候の報告に、パルメニオン将軍が思わず立ち上がる。
 マイドイ人はトラキアの辺境の少数民族である。まさか、それほどの数は無いだろう、とマケドニアからは五百しか連れて来なかったのだ。どこから駆り集めたのか、こちらの四倍である。数の上で圧倒的不利な相手にどうやって戦えというのか。

「王子、陛下に援軍を要請しましょう。このまま戦うのは無理です」
「将軍の言葉とは思えんな。戦う前から負けると諦めるのか?」

 パルメニオン将軍の言葉にリュコスが噛み付く。しかし、逆にアステリオンからの怒声を受けてしまった。

「この単純馬鹿が!この数で戦ったら犬死するだけだぞ!」
「数だけで勝敗が決まるか!この頭でっかちが!数だけ揃えりゃいいってもんじゃないだろーが!!」

 アステリオンとリュコスが睨み合う。平時では見慣れた光景なのだが、ここは戦場だ。普段なら笑って見ていられるヘファイスティオン達も、さすがに表情は強張っていた。険悪な雰囲気が漂い始める。

 しかし、それはアレクサンドロスの静かな声によって破られた。

「……援軍の要請は必要ない。計画通りこのまま行くぞ」
「王子!?」
「アレク!?」
「そうこなくちゃ!」

 三者三様の反応である。パルメニオン将軍は王子の決断が信じられない、と。アステリオンはアレクサンドロスの早計を諌めるように、そしてリュコスは楽しそうに飛び上がった。

「アレク、何を考えている?奇襲でもかける気か?」

 アステリオンが食い下がってきた。奇襲ならば、まだ納得が出来るからだ。しかし。

「奇襲?何故、俺がそんな手段をとるんだ?正面から敵を叩き伏せてこそ勝利と言えるだろう。姑息な手段で勝とうなんて思っていない」
「だったら……!」
「俺は負ける戦はしない。この戦い、必ず勝つぞ」

 毅然と言い放つ。
 己の勝利を疑っておらず、自信に満ち溢れていた。

 不安を隠しきれなかった親衛隊も、彼の言葉を聞くと不思議と勝てるような気がして笑みが戻ってくる。
 しかし、アステリオンだけはそうはいかなかった。天幕を出て行くアレクサンドロスの後姿に「俺の言うことを聞け!」と叫ぶ。だが、アレクサンドロスは決して足を止めることも振り返ることもしなかった。

「無視だ、無視。机上の論だけで勝てりゃ苦労しねーよ」

 アレクサンドロスの背をポンっと叩くリュコス。
 そんな彼に、

「彼らの言うことも間違ってはいないさ。ただ、今回はそう時間をかけるわけにはいかないんだ。アテナイやテーバイが動く前に終わらせなければならない。その為の騎兵だ」

 アレクサンドロスは、アステリオンやパルメニオン将軍の言を必ずしも否定しているわけではないのだ。ただ、様々な事情があり、それらを全てクリアーする方法を選ばなければならなかった。

――――――速さで敵を翻弄し叩きのめす、ということか」

 アレクサンドロスの意図を察したヘファイスティオンが、彼の目をじっと覗き込む。リュコスも息を呑んだ。
 そして。

――――――その通り」

 にやりと笑うアレクサンドロス。

「その為に親衛隊の面々には頑張ってもらわなければならない。山地が騎馬にも不向きなのは十分承知しているさ。それを敢えてやるんだ。お前達にしか出来ない仕事だろう?」
「当たり前だ」

 ヘファイスティオンもリュコスも、当然のように笑みを返した。

 アレクサンドロスの、彼らに対する信頼は深い。負けるとは考えていなかった。





 事実、アレクサンドロスの言葉通り、マケドニア軍の圧勝であった。
 確かに数の上ではマイドイ人の方が有利であった。しかし、彼らは皆重装備で、山地ではさらに身動きが取りにくい。そんな彼らを、アレクサンドロス達は騎馬で右へ、左へと揺さぶり、密集携帯をばらばらに分断させた。アレクサンドロス達の巧みな城馬術による勝利と言えるだろう。

 こうして、わずか数日でマイドイ人討伐を為したのであった。














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A man cannot live without hope. =「人は希望無しには生きられない」




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