第三章  Truth is no absolute thing , but always relative .








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「私は反対です」

 アレクサンドロスの言葉に一同がざわめく。
 何よりもフィリッポス二世が眉を険しく寄せた。

「アレクサンドロス!この父の決定したことに異を唱えるか 」

 マケドニア王フィリッポス二世はまだ四十代の、屈強な王である。ギリシア世界に革命を起こしたといっても過言ではないだろう。ギリシアをペルシアから解放し、なおかつマケドニアの元へと統一しようと旗揚げをしたことで著名な人物であった。
 辺境の小国であったマケドニアを、ギリシアを代表する強国へと押し上げたフィリッポス二世である。その政治手腕は並みではなかった。

 そのフィリッポス二世が、トラキアへの遠征を宣言したのである。

 軍議に集った諸卿は、王が決めたことならば、と一も二もなく賛同した。フィリッポス二世も、それが当然であると考えていたのだが。

 アレクサンドロスだけが反対をした。

「父上……いえ、陛下にお尋ねしたい。トラキアは強国、確かにいつかは倒さねばならぬ国です。だが、それを今と定めた理由をお聞きしたい」

 戦いには時期と言うものがある。武将は戦術に長けている必要がある。だが、国王たるもの、政治家として戦略を考えなければならないのだ。

 今、トラキアを攻めることにどのような利があるのか。
 その理由が全く思いつかないアレクサンドロスは、マケドニアの摂政として、国王を諫めなければならないと思ったのだ。

 しかし、それはフィリッポス二世の怒りを買った。

「臆病風に吹かれたか!お前は理由が無ければ戦うことも出来んのか お前の意見など必要ない!下がれ 」

 有無を言わさずに追い出す。

 もはや聞く耳を持たない、といった激昂に、アレクサンドロスは無言で軍議から離れた。納得出来たわけではないが、今は何を言っても無駄だろう。

(一体どうされたのだ、父上は……)

 以前のフィリポッス二世なら、こんな無茶な提案はしなかった。幼い頃、強国の人質として敵国で過ごしたことのある王は、その為とても慎重な性格で、何を行なうにも必ずその二歩、三歩先まで考えて動いたものだ。
 アレクサンドロスを若いながらも摂政に任じたのは王であり、彼を信頼しその意見も考慮して政を行なっていたのに。

 思い悩むがその理由が全く浮かばない。日が落ち、夜も更けてきたが考え悩むアレクサンドロスは眠ることが出来ず、中庭を当てもなく彷徨っていた。

 すると、中庭の奥に白い人影を見つけた。気配からすると侵入した賊と言うわけでもなさそうだ。
 先客がいたのかと踵を返そうとして目を見張った。

「……アーシア……」

 彼女の方も、突然現れたアレクサンドロスに驚いたようだった。大きく見開かれた瞳が彼を映している。

 例の気まずさがアレクサンドロスの中に蘇る。しかし、幾らなんでもここで何も言わずに去ってしまうのは露骨すぎるだろう。
 かといって、何と言葉をかければ良いのかと悩んでしまう。

 アーシアは、驚愕は去ったようではあるが、その整った顔に何の感情も表さず、ただアレクサンドロスを見つめているだけであった。

「……アーシアも眠れないのか?」

『アーシアも』という言葉が、自分の方こそ眠れないのだと言うことを白状しているのだが、今のアレクサンドロスにはそんな文法の使い方まで気を回す余裕はなかった。

 ようやく、アーシアは苦笑した。

「……まあ、色々と思うところがあってね」

 いつまでも動かない敵。受け身であることの苦痛。

 表面には表わさないが、彼女も実のところ焦思を感じていたのだ。その意味で、アフロディーテの揺さぶりは的を射たと言うことが出来るだろう。

 だが、それを知らないアレクサンドロスは誤解した。先日の一件、そしてそれからの彼の態度に、彼女が傷ついているのだと思い込んだのだ。アレクサンドロスの、神聖な至上の天空を表わす色のセレスティアル・ブルーの瞳が曇ってしまった。

「アー……」

 言うべきことが浮かばないまま、彼女の名を呼ぼうとしたアレクサンドロスだったが、カサリと足音が耳に届き、体を強ばらせた。

 アーシアはすでに反応しており、アレクサンドロスを背に庇うように動いていた。

 足音は確実に二人に向かって近づいてくる。
 だが、刺客にしては全く無頓着に近寄ってくるし、足音を殺す様子もない。それに、この軽い音は男のものでは有り得ない。

 木々をかき分けるように足音の主は姿を現した――――――小柄な、年若い女性であった。

 真っ直ぐな長い金髪はアレクサンドロスのものと同じ色であるが、その瞳の色は微妙に異なっている。基本色で分類すれば同じ青であるが、比べればやはり違う鮮やかなコバルトブルーであった。
 その顔立ちは、人間にしては珍しいほどの美貌である。もちろん、美の女神アフロディーテと比べるべくもないが、それでも人界においてはその美しさは際立っているだろう。印象も、アフロディーテともアーシアとも違い、清楚で儚げな雰囲気であった。

「……クレオパトラ殿……」

 アレクサンドロスの言葉が詰まる。何故彼女がここに?意外な人物の姿を認めて、愕然と眼を見開いた。

「あの……アレクサンドロス様にお話が……」

 消え入りそうにか細い声。長い睫毛が震えている。男の庇護欲をかき立てずにはおられないだろう。
 彼女の鮮やかな青い瞳が、気づかわしげにアーシアを盗み見た。

 アーシアはというと、何やらただならぬ様子の二人の姿に、どうすれば良いのか分からず困っていた。

 ややあって、アレクサンドロスがアーシアの方を向いた。

「……済まない、アーシア。場をはずしてくれないか」

 彼女がいてはまずいことがあるのだろうが、その理由が分からない。分からないが、彼ら二人にとっては重要なことなのだろう。異を唱えることなく、アーシアは二人に背を向け歩き出した。






 中庭から宮殿へと戻ろうとしたアーシアは、木の陰にいた人影とぶつかりそうになる。とっさに避けたが、想いもがけない人物ばかりに会うものだと感心してしまった。

 アレクサンドロスとクレオパトラの様子を窺うように立っていたのはヘファイスティオンであった。

「アーシア……見たのか……?」

 何を、という目的語がないが、あの二人のことだと察しが付いた。

「そうか……済まないが口外しないでくれないか。事を公にはしたくないんだ……。あの二人の仲が表沙汰になったら、アレクの立場がまずくなる」
「え……ええっ 」

 二人の仲。ということは……。

「……て、あの二人を見て気づかなかったのか 」

 てっきりアーシアも気づいてしまったのだと思い口を滑らせたヘファイスティオンだったが、彼女が何も気づいてなかったのだと分かると、自分の口の軽さを呪ってしまいたくなった。

 いや、そもそもあの二人の独特な雰囲気に、気づかないアーシアの方がおかしいのではないのか?
 彼女の鈍感さこそが珍しいものだ。ヘファイスティオンは、半ば感心し、半ば呆れながら、アーシアをじっと見つめた。

 どうもこのアーシアという娘は、暗殺や襲撃などといったことにはとても鋭い感覚の持ち主なのだが、人の心の機微と言ったものには疎いようだ。アレクサンドロスとの一件を思い浮かべ、なお一層その傾向が感じられる。

 今も、理解しがたいと言った表情だった。

「……お相手はクレオパトラ殿……?」
「見間違いではないよ。彼女がアレクに話があるからと、俺が探して案内したんだから」
「でも、クレオパトラ殿は陛下の婚約者でしょう?」
「だから、表沙汰になったら困るんだ」

 この頃、王族の一夫多妻性は慣例のようになっていた。マケドニア王フィリッポス二世にはすでに六人の妃がいることが知られている。正妃はアレクサンドロスの母・オリュンピアスであるが、その他の妻達もフィリッポス二世との間に子をなしていた。

 王族の婚姻は政治とは切っても切り放せない。オリュンピアスはエペイロス人の王の娘である。このように、国外はおろか、国内でも力のある貴族の娘を妃にしてその繋がりを強めるのだ。

 クレオパトラも、マケドニアの大貴族の娘であり、その為国王の七人目の妻となることがすでに決められているのであった。
 国王の婚約者と恋仲になる。それは王に対する叛心ともとられかねないし、政治的な意味からも大問題となってしまう。

 いや、それ以前に。

 義母となるべき女性に恋心を抱く。それは姦淫ととられかねない。確かに、事が公になってしまうとアレクサンドロスの立場は非常にまずくなってしまうだろう。

「……アレクがその人を好きになったのは、彼女が陛下の婚約者になる前だったの?」
――――――いや、知り合った時にはもう婚約されていたはずだ」
「……父の婚約者と知っていても好きになってしまうものなの?そういうのってよくあることなのかしら?」
「よくあるわけではないだろうが……知ってはいても心なんて思い通りにはならないだろう?例え相手が誰であろうとも、心を奪われるのは理屈では説明できないものだ」

 不思議そうに聞いていたアーシアだが、ヘファイスティオンの言葉は呪文のように彼女の耳に残った。

 心は思い通りにはならない……。

「……人の心って不思議ね。不合理で説明出来ないことばかり……」

 人間の心は白と黒とにはっきりと分けることが出来ない。白の中に黒を隠しているし、黒の中にも決して溶け込まない白をも併せ持っている。複雑で、繊細で――――――

 だからこそ、強い。だからこそ、世界を支える源となっているのかもしれない。

「アーシア……?」
――――――私は人の心が理解できないの。だから、どうすることが良いのか分からないのよ。この世界は正しいことばかりで出来ているわけではない……正しければ良いわけではないのね」















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Truth is no absolute thing , but always relative . =「心理は決して絶対的なものではなくて、常に相対的である」




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