第一章  I promised to protect him from everything.






V





 どうやらアレクの周りには個性的な人間が集まっているらしい。

 ペラ中心にある王宮へアレクに伴われてやってきたアーシアは、その道中を思い浮かべてそう思った。

 アステリオンの反応は理解できた。あれが、一般的なギリシア男性の反応だろう。アレクの方こそが特殊なのだ。

 クレイトスはというと、彼も平均的な一般常識を基準とする思考の持ち主であるようだが、感情の基準は全てアレクにあるらしかった。アレクの乳兄弟として育った彼は、どうやらかなりアレクに傾倒しているらしい。アレクが決めたのなら、とそれだけで受け入れることができるようだった。

 四人の中で一番柔軟な思考の持ち主は、アレクよりもリュコスのようだった。彼は、何の屈託もなくアーシアのことを受け入れていた。確かに、女が戦場に出るなんて聞いたこともない話だったが、十数人に囲まれながらもアレクを守り、なおかつ自分の一撃を交わすことが出来たというアーシアの腕前に、
(彼女くらい腕がたつのなら、まあいいか)
 と思ったようだ。

 そんなリュコスを、アステリオンは皮肉げに睨めつける。

「そんな怖い顔をするなよ、アステリオン」
「これが地顔だ」

 陽気なリュコスとは対照的にむすっとして答える。
 常から脳天気だとは思ってはいたが、こうまで彼が単純だと腹も立ってくるものだ。

(女が護衛云々はともかく、どうしてそう簡単にこの女を信用できるんだ!)

 かつてのアレクの守り役の娘と聞かされても、アステリオンにはアーシアを信頼することが出来なかった。アトレウスが、当時は忠誠を誓っていたかもしれないが、今もそうであるとは限らない。

 それに、アーシアに感じる生理的嫌悪感……。

 何故そう感じるのか、理由はアステリオンにもわからなかった。
 強いて言うのならば、彼女の微笑がそれだろうか。普通は温もりを感じるはずの優しい微笑も、彼女が浮かべるものはそうではなかった。それはアレクを襲った者達も感じたことではあるが、幾ら聡明なアステリオンでもそこまでは知る術はない。ただ、得体の知れない嫌な感じが胸中に広がっていくのだ。

(油断は出来ない。この女から目を離すわけにはいかない)

 アレクに王宮内を案内されるアーシアの背中に突き刺さるような視線を送る。
 自分が疑われていることなどわかっているのだろうが、うろたえる様子もなく平然としている彼女の態度にさらに苛立ちがつのった。

「アステリオンのことは気にするな。ああいう性格なんだ」

 アレクが申し訳なさそうに言う。
 彼はアーシアに精一杯のことをしてやろうと思っていた。何といっても、彼女はあのアトレウスの娘なのだ。

「お気遣いありがとうございます。王子様」
「王子様はよしてくれ、アレクでいい」
「しかし……」

 相手は仮にも王族である。地位もないアーシアが名前を呼び捨てにしていい相手ではない。
 だが、どうやらアレクはその辺には無頓着なようだ。

「気のおける連中にまで様呼ばわりされてはかなわないからな」
「では、ご遠慮なく」

 クスリとアーシアが笑った。
 彼からは王族の持つ気位の高さというものが全く感じられなかった。人に好感を与える雰囲気を持っている。多くの国民から慕われていると聞くが、それもわかる感じがした。

 不意に、アーシアは振り返った。

「どうした?」
「……ここは奥宮……警備は厳しいんですよね」
「王族の住居だ。賊が忍び込むのさえ難しいぞ」
「……ということは、誰かの手引きがあったと考えられますね」
「何?」

 アーシアの言葉を理解する前に、ざわりと殺気が迫ってきた。
 とっさに剣の柄に手をかけると、柱の陰から剣のきらめきが襲ってくる。

「また、刺客か!!」

 今日は二度目である。しかも、ここは王宮の奥深く、本来ならば襲われるべき場所ではなかった。

(アーシアは奴らの気配を感じ取ったのか?)

 今までに幾度となく刺客に襲われて来たアレクである。それらの気配には敏感であったが、そのアレクよりも早く感じ取ったというのか。

 アーシアは剣をかわすアレクらの後ろにそっと下がった。そして、襲撃者達を――――――正確には、その中の一人の男をじっと凝視していた。

「護衛として雇われたのに、何を後ろに下がってるんだ!?」

 応戦しないアーシアを、リュコスが横目でなじる。

「何言ってるんですか!彼女は体験していないんですよ。幾らなんでも素手でやり合えるわけないじゃないですか!」
「あ、そうか」

 呑気なリュコスの台詞に、いつもなら皮肉を言うはずのアステリオンは無言のままだった。
 実は、呆れ果てて物も言えない状態だったのだ。アーシアのことを不審に思うアステリオンでさえも、彼女が後ろに下がったのは邪魔にならないようにという配慮であると分かったのに。

 先の襲撃と同様、数では相手方の方が有利であったが、実力ではアレク達の方がずっと上のようだった。刺客の数が確実に減っていく。
 しかし、最後の一人がしぶとかった。剣技だけならアレクよりも強いであろうリュコスでさえてこずる男だった。たった一人しか残っていないのに、逃げ出す素振りさえ見せない。
 しかし、さすがに1対4では余裕がないようだ。男の表情に焦りが浮かんできた。

「誰の手引きで忍び込んできた?素直に言えば命だけは助けてやる」

 アレクが、言いながら一歩前に出る。
 そして、他の3人がゆっくりと男を取り囲んだ。これで逃げることは出来なくなった。







 だが、男は逆にニヤリと笑った。







「……!?」







 視界を光が埋め尽くした。

 閃光が音もなく爆発したかのように、大気を震わす衝撃と共に彼らに襲い掛かったのだ。







 光が薄らいだ時、立っているのは男一人だけだった。
 彼の周囲にアレク達4人は倒れていた。外傷は見当たらない。しかし、完全に意識を失っているようだった。ピクリとも動かない。

 アレクを見下ろしながら男は口元を歪めた。禍々しい笑みだった。

 そして、息の根を止めようと剣を振り上げる。

 しかし、







「人間相手に大袈裟な力を使うわね」







 突然かけられた声に、ギョッとして振り向いた。

 アーシアだ。
 腰に片手を当てて、泰然とした様子で立っていた。

「馬鹿な!」

 男は、信じられないと叫ぶ。今の光を受けて、無事でいられるはずはないのだ。普通の人間ならば。

 普通の、人間なら……?

「お前……!?」

 驚愕を面に張り付かせたままの男に向かって、アーシアは風のように軽やかな動きで詰め寄った。とっさに男が剣で払うが、それすらもふわりと避けられた。

 男は舌打ちし、剣を持たない左の手を空に掲げた。手の平に凝縮する空気が見える。そうして溜めた力を、男はアーシアに向かって投げつけた。

 気の塊がアーシアにぶつかる瞬間。

 見えない壁に弾かれたように、それが散ってしまった。

「何だと……!?」

 男が目を瞠った。先の光を避けたのはまぐれではないらしい。自分の力が通じなかったことに愕然とする。

 そんな男を見て、アーシアはクスリと笑った。

 そして、男の背後にすばやく回り込むと、彼の背中に掌を当てた。軽く触ったようにしか見えなかったのに、男は弾き飛ばされて床に叩きつけられた。

 痛みにうめく男を、冷ややかな目でアーシアは見下ろす。







「人間にしてはやけに強すぎるからまさかとは思っていたけどね。いつまでも人間の器に閉じこもっていないで、姿を現したらどうなの?軍神アレス」







 アーシアが言い放つや否や、男はガクリと膝をついた。自分の意志でそうしたというよりも、全身の力が抜けてそうなったようだ。ゆっくりと、上半身も床に倒れていく。

 そうして、その場に新たな人影が現れていた。

 黒い髪を金環で留めている青年であった。均整の取れた逞しい身体に黒いヒマティオンを身に纏い、その右手には鈍い輝きを放つ剣が握られていた。彼の漆黒の瞳は真っ直ぐにアーシアを射抜いている。

 そして、全身から立ちのぼる神気……。

「……貴様、何者だ?ただの人間ではないな」

 しかし、問われた方はクスリと笑うだけだ。
 確かに、神を前にして平然と笑えるとは、只者ではなさそうだ。

「まさか、軍神アレスがたかが人間を殺す為に人界に降りてきているとは思わなかったわ。どうして彼を狙うのか、理由を尋ねても良いかしら?」
「貴様が知る必要はない!」

 アレスが手にする剣の刃が青黒く光った。そして、目前の娘へと付き出された。
 軽く避けはしたものの、アーシアの背後に剣が突き刺さると、太い円柱が粉々に砕け散った。少しでも触れれば無事ではいられないだろう。次々と繰り出される剣先を、紙一重でアーシアはかわしていく。

「察するに、誰かさんからお願いされたのかしら?あなたがアレクサンドロスと関わりがあるとは聞いていないからね」
「軽々しい口を聞くな!」
「ふん、アフロディーテの腰ぎんちゃくが、偉そうに吠えないでよね」

 侮蔑するように唇を吊り上げると、アーシアはアレスの懐へと飛び込んだ。

 不意に、吐息がかかるほど間近にアーシアの顔が現れ、一瞬アレスの攻撃の手が止まる。
 にこりと笑ったアーシアは、瞬間右手でアレスの額を掴んだ。

 そして。

「ぐぁ……!!」

 間をおかずにアレスが苦しみだした。無我夢中でアーシアを振り払うと、両手で頭を抑えてうめく。何かが彼の頭の中を掻き乱しているかのような苦しみに、身を捩って耐えていた。

 アレスを見下ろすアーシアは涼しい表情だ。とても、この地獄の責め苦のような苦痛を与えたとは思えないほどに。

「大方、アフロディーテがアレクサンドロスに誘いをかけて、それを断られた腹いせでしょうが。同じことを何度繰り返せば気が済むのかしら。そうやって自分たちのエゴで人間の運命を弄ぶ、だからオリンポスの連中は嫌いだわ」

 アーシアの口振りでは、ギリシアの主神であるオリンポス神族のことを良く見知っているかのようだった。

 軍神アレスはオリンポス十二神の一人であり、同じく十二神の一人、美と愛の女神アフロディーテの恋人であるとされている。大神ゼウスとヘラとの間に生まれた荒ぶる神、それがアレスだ。

「オリンポスに戻ってアフロディーテに伝えるといいわ。アレクサンドロスを害する真似は決してさせない。他の遊び相手を探すがいい、と」
「貴様……やはり神々に所縁の者か?」
「縁を切ったから、何の関係もないわよ」

 淡々と吐き捨てるアーシアに、アレスは思い当たることがあったのか、はっと息を呑んだ。

「貴様、まさか……」

 しかし、それ以上の言葉は紡がれなかった。ふらつきながらも立ち上がると、アレスはすっと姿を消した。

 完全にアレスの気配が消えたことを確認すると、アーシアはアレクの側に膝をついた。
 外傷がないことは見ればすぐに分かる。問題は意識状態だが……どうやら強い衝撃を受けて一時的に喪失しただけのようらしい。命に別状がないことを確認し、ホッと安堵の息をついた。

 厄介な人物の護衛を引き受けてしまったと、先が思いやられるアーシアだった。王子という立場上、敵が多いのは承知していたが、まさか神々までも関わってくるとは思いもしていなかった。
 アレスの消えた空間を見やって、アーシアは溜め息を吐く。

(あまり居場所を知られたくはなかったけど……仕方がないわね)

 アレクサンドロスを守る。それがアトレウスとの約束であった。どんなことをしても果たさねばならない。例え、オリンポスを敵に回すとしても。















 アレクサンドロス――――――マケドニア国王フィリッポス2世の嫡男であり、紀元前340年、弱冠16歳にして摂政の任に就く。

 英語読みでアレキサンダーと呼ばれ、後に強大な未完の帝国を築き大王となる彼であるが、この時まだ17歳……。

 歴史にその名を刻むのは、もう少し先になる。







 ……しかし、歴史には刻まれることのない物語の1ページ目が、今、開かれたのであった。













第1章 終






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I promised to protect him from everything. =「私は彼を全てから守ると約束した」




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