第一章  I promised to protect him from everything.






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「ご無事で……とは言いがたいようですね」

 毒を受けていることに気づいていたらしい。娘は懐から小さな容器を取り出すと、アレクの右腕の傷口に塗り始めた。

「毒に耐性があるようですね。生命に危険は無いようです。しばらくは手足の痺れが残りますが……問題は無いでしょう」
「……お前……何者だ?」

 警戒する声に、娘はクスリと笑った。

 馬鹿にされているような気がしてむっとした。正体不明の娘を前に、警戒心を抱かない者などいないだろう。それが、数十人の敵を一人で屠った凄腕の持ち主であればなおのこと。
 いくら命の危機を助けられたからといって、味方であると即断するのは危険すぎる。

(この女も敵国の刺客か……?)

 スパルタの女やアマゾネスだとしても、娘の強さは尋常ではなかった。訓練されたものに違いない。
 女をわざわざ訓練するなど、暗殺の目的しかないではないか。

「信じろ……というのは無理ですか。少なくとも、敵ではないつもりなのですが」
「信じられると思うのか?ならば、俺を助けた目的は何だ?恩を売るつもりか?」
「ある人があなたの無事を望んだから」

 傷を布で縛る娘の顔を、アレクは思わず覗き込んだ。

「ある人……?」

 訝しげなアレクの視線を、娘は真正面から受け止める。
 嘘や偽りを言っている瞳ではなさそうだったが……どこまで信じてよいのか、アレクにはわからなかった。

「信じることを強要はしません。ただ、あなたがご無事なら、それで良いのです」
「ある人とは誰だ?」
「私の口からは申し上げられませんが、その人があなたとお会いしたがっています。どうなさいます?」

 会いたくない、といえば無理に連れて行く気はないらしい。

 アレクは、しばし逡巡した。
 罠、という可能性は捨て切れない。娘の言葉を魔に受け、ノコノコで向いたところを待ち伏せされるかもしれないのだ。
 しかし、もし娘の言うことが本当だとしたら……自分の無事を望んだという人物に会ってみたい気もする。

 答えを出せずに迷っているアレクの耳に、自分を探す声が届いた。

「アレク、どこにいる!?」
「リュコスか!?」
「アレク!無事か!!」

 リュコスと共に、アステリオンやクレイトスらも駆けつけた。皆無事らしい。一人も欠けることなくアレクの元に集まってきた。

 しかし、リュコスは顔色を変えた。
 アレクは傷を負っているらしい。そして、その傍らには血に塗れた剣を手に持つ女……。

「貴様、アレクを……!!」

 駆け寄る足を止めずにリュコスは剣を抜き放った。鋭い切っ先が女を襲う。避ける暇も与えないはずの一閃であったが。

 女は風のように軽やかな身ごなしでその白刃から身をかわしていた。

「何だと……!?」

 必殺の一撃をかわされたことに対し衝撃を受ける。今まで自分のこの剣を避けた者などいなかったのに……。

(それが……たかが女に避けられるなんて……!)

 屈辱に眉を歪め、再度剣を振るおうと身構えたリュコスに、制止の声が飛んだ。

「止めろ、リュコス!」
「アレク、何故止める!?」
「誤解だ!彼女は俺を助けてくれたんだ!」

 娘の言動にまだ納得しきれないものはあるが、結果的には助けられたのだ。敵だという確証があるわけではないので、命の恩人に対し剣を向けるのは礼儀に欠けるだろう。
 アレクは、彼女に助けられたのだという客観的事実のみを説明した。彼女に対する疑いは、説明しなくても誰もが思い浮かべるからだ。
 案の定、まずアステリオンが不審な眼差しを娘に向けた。

「誰かがアレクの無事を願ったと言う。しかし、その人物の正体は明かせない……では、疑ってくれといわんばかりだな」

 彼の切れ長の目が鋭く光る。娘の一挙一動を見抜こうとして。

「第一、何故そんなに都合よくアレクの居場所がわかった?この広い山中で偶然探し当てたでは納得できんな。貴様が連中の襲撃をあらかじめ知っていた……と考える方が当然だろう」
「だが、彼女がアレクを助けてくれたのは事実だろう。確かに女にしては腕が立つようだが、そう最初から疑ってかかるのはどうかと思うぞ」

 真っ先に剣を抜いたリュコスが、今度は娘の擁護に回る。先ほどは自分の剣をかわされたことに逆上してしまったが、アレクを助けたと聞いてコロッと態度を変えていた。どうやら彼には、娘の言葉に嘘は無いと感じられたらしい。
 彼は素直にアレクが助けられたことを感謝していた。

「第一、彼女が刺客だったら連中の手助けをした方が手っ取り早いだろう。何で、わざわざアレクを助けたりするんだ?その方がずっと手間がかかって不確実じゃないか」
「甘いな、リュコス。連中とは別件でアレクを狙っていた。だから連中に手柄を立てさせることはさせられなかった。自分が殺してこそ任務を遂行したことになる、だとしたら?」
「どうしてお前はそう問題を複雑にしたがるんだ?そんな風に考えるのなんて、お前だけだろ」
「俺からしたら、どうやったらお前のように脳天気に考えられるのかがわからない。あいにくと、俺はお前のように騙されやすくはないのでな。何事も慎重に考えるんだ」
「脳天気だとぉ!?お前の性格が捻じれ過ぎてるんだよ!」

 当人を他所に二人の舌戦が始まってしまった。
 これもいつものことらしく、クレイトスは溜め息を吐く。

「で、どうするんです?その人物に会うつもりですか?」

 二人を放っておいて、クレイトスはアレクに話し掛けた。

「……どうしようか迷っているんだが……」
「気が進まないのなら、後日ということでもいいと思いますよ。傷の手当てもしたいし……」

 剣に仕込まれていた毒というのが気になるのだろう。心配げにアレクを覗き込む。

 しかし、アレクの方は言われて初めて気づいたというように、白い布の巻かれた傷を見た。
 初めはひどい頭痛や眩暈に襲われていたのに、いつの間にかそんな不快感が消失していた。軽く痺れが残っているだけで……。

「……」

 そういえば、彼女がこの傷の手当てをしてくれていたのだ。何かの薬を塗っていたような気もする……あの時は、身体を襲う苦痛と彼女に対する警戒心で、気づくことが出来なかったが……。

 アレクは、ゆっくりと娘に視線を向けた。

 彼女は、ずっと待っていた。自分が何を言われようと、アレクが答えを出すのをじっと黙したまま。
 緩やかな微笑は変わらずに。

「……わかった、会おう」

 アレクの声に込められた決意。察したのか、娘の笑みはさらに深くなった。

 正反対の反応を示したのがアステリオンだ。彼はアレクの返事を聞くと、今の今までがなり合っていたリュコスを放っておいて、アレクに向かって詰め寄った。その表情はかなり険しい。

「何を馬鹿なこと言ってるんだ!?自分から罠にはまりに行ってどうする!!」
「彼女を信じてみることにした」
「だから!それが間違いだと言っているんだ!」

 アレクの気を変えようと、彼は必死になって説得しようとする。
 けれど、もうアレクの決意は変わらなかった。

「俺が、そうしたいんだ」

 決して視線を逸らさず、強い輝きを宿す目でそう言われてしまえば、いつまでも反対できはしなかった。わかっていてやっているわけではないから、尚更性質が悪い。

 アステリオンは悔しそうに唇を歪めると、もうそれ以上何も言わなかった。
 アステリオン自身の考えは変わらないものの、こうと言い出したら決して自分を曲げようとはしないアレクのことがわかっていたので、何を言っても無駄だと諦めたのだ。

(仕方が無い。アレクの分も俺が注意を払っていれば良いだけだ)

 こういう時に、彼には自分が必要なのだと、強く思う。
 だからこそ、放っておけない。自分が彼を守ってやらねば、と強く思うのだ。

 相談の結果、アステリオン、クレイトス、リュコス以外の者はペラへと戻ることになった。襲撃者の遺体から、彼らがどこの国の刺客かを調べる必要があったのだ。

 そうして、アレクら四人は娘――――――アーシアの案内で狩猟場から反対方向の山の麓へと向かった。

「こちらです」

 小さな小屋の中へと導かれる。
 緊張した面持ちでアーシアの後へと続く四人だが。

「あ……」

 寝台の上に横たわる人物が目に入ると、アレクがハッと息を呑んだ。
 不審そうにアレクを振り返るリュコスらの突き刺さるような視線を、彼は気にかけることも出来なかった。

 アレクの驚愕を察したのか、寝台の男がゆっくりとその身を起こした。
 筋肉の萎えた細い手足、色つやの無い皮膚、そして青白くやつれた顔を見れば、一目で病に冒されているのは明らかだった。

 それでも、彼はアレクを認めると嬉しそうに微笑んだ。

「……アレクサンドロス王子……」

「アトレウス……か……!」








「久し振りだ、アトレウス……!」

 アレクは嬉しそうに笑いかけた。アトレウスの寝台の側に座り、懐かしげに彼を見やる。

 記憶にあるアトレウスとは随分と変わってしまっていた。アレクは、力強く逞しかった彼しか覚えていない。それでも、その蒼褪めた顔に浮かぶ優しげな微笑だけは昔も今も変わらなかった。

「お元気そうで何よりです、王子」

 アトレウスの方は、久方ぶりに見るアレクの成長した姿に感慨を覚えたようだ。深い皺の刻まれた目尻に涙が滲んでいる。

 そんな二人の様子を、アステリオンらは言葉も挟めずに見ていることしか出来なかった。

「……確かに、随分とやつれてしまってますが、アトレウスですね……」

 クレイトスの納得したような声。
 しかし、他の二人はそうはいかない。

「あの男を知っているのか?」
「ああ、君達が来たのは彼がいなくなってからでしたっけね……。アトレウスはアレクが幼い頃から彼の守り役だった人ですよ。僕もアレクと一緒に彼から剣を習った口ですからね」
「そうか、クレイトスはアレクとは乳兄弟だもんな」
「数年前から姿を見せなくなっていたんですが……そうか、病に臥せったからなんですね」

 アレクは、自分を助けようと働きかけたのがアトレウスであったことで、ようやく白金の娘のことを信じられたようだ。
 そして、疑ってしまったことで罪悪感さえ覚えてしまった。

「彼女には悪いことをしてしまった……。ところで、彼女は……?」

 部屋の隅に静かに控えている娘にチラリと目を向ける。
 気を悪くしているだろうかと決まり悪げな感じを抱いていたが、どうやら彼女の方は全く気にかけてなかったらしい。アレクと視線を合わせると、にっこりと笑いかけた。

「娘のアーシアです」
「娘?アトレウスに娘がいるなんて知らなかったな。……そうか、彼女の剣の腕はアトレウス仕込みなんだな。道理で強いわけだ」
「……お役に立てたようで何よりです」

 言葉を濁すような言い方に、おやっとアレクが思った時、アトレウスがおもむろに話を持ちかけてきた。

「実は、王子にお願いがあるのですが……」
「他ならぬアトレウスの願いとあっては聞かないわけにはいかないな。何だ?」

 内容も聞かない内にあっさりと承諾してしまうアレクに、アステリオンが舌打ちする。彼からしてみれば、何事ももっと慎重に行動してほしいと思うばかりだ。

「アーシアを、王子の護衛として側近くに仕えさせていただけないでしょうか」
「彼女を?」
「アトレウス!?」

 声を荒げたのはアーシアだった。とすると、彼女もこのことは初耳だったらしい。常に優しげな表情を崩さなかったアーシアだが、この時ばかりは顔色を変えていた。

「一体何を……!?」
「ずっと考えていたことだよ、アーシア」
「でも、私が行ってしまったらアトレウスが……」
「それでも、だ」
「……」

 アトレウスを一人にしてしまうことに不安を感じて詰め寄ったアーシアだが、彼の固い決意を感じると、何も言えなくなってしまった。

 アトレウスが一人になってしまうことを案じるのはアレクも同じだった。
 アトレウスの様子を見ると、快方に向かっているとはどうしても思えない。もし、何かあった場合に一人きりでは……と考えてしまうのだ。

 しかし、当の本人は全て承知しているようだった。落ち着いた態度で、真正面からアレクを見つめた。

「王子、私はかつてあなたのお側にいた時に、一生涯あなたをお守りすると誓った男です。ですが、見ての通り……もはや、私にはあなたをお守りする力はない。ですから、せめて……娘に、私の果たせなかった願いを叶えてほしいのです」

 アトレウスの台詞を聞いて、アーシアが沈痛な面持ちになった。

 彼の声に込められた強さに、アレクは胸を突かれた。
 それほどまでに自分を案じてくれるアトレウスの気持ちは嬉しい。
 しかし、彼は自分の死が近いことを感じているのではないか……娘に全てを託そうという彼の言動に、そんなことさえ考えてしまった。
 彼の様子からして、遠からず死が訪れるのは多分間違いではないだろう。全てを悟ってしまっているアトレウスを、哀れに思った。

「……わかった。お前の望む通りにしよう」

 アレクは頷いた。

 驚いたのはアステリオン達だ。
 女を護衛として仕えさせるなんて前代未聞の話だった。ただの侍女ならいざ知らず、護衛となると戦場まで連れて行くことになってしまう。前述したスパルタとアマゾネス以外、女性が戦場に出ることなど考え付きもしない世界であるのだ。アトレウスの提言がどれほど荒唐無稽のものであるか、最初は驚くよりも呆れてしまった三人なのだ。
 まさか、幾らアレクでもそんな馬鹿なことを了承しはしないだろう、と思っていたのだが……。

「正気か!?」

 アステリオンが、常の冷静沈着ぶりをかなぐり捨てて喚いた。
 彼は常識をこよなく愛する男だった。彼の脳裏では、彼の常識外のことは除外するような思考形態になっている。アステリオンにしてみれば、アレクの返答はとても現実のこととは思えないのだ。

 アステリオンの気持ちはよく分かるが、アレクは至って正気だった。

 確かに常識外れのことだと自覚している。それでも、アトレウスの願いを叶えてやりたいと思うのだ。それが自分の身を案じてのことだから、尚更無下には出来なかった。

 同情かも、しれない。けれど。

「これからよろしく頼む。アーシア」
「……こちらこそ、お願いします」

 アーシアも、心を決めたのか、もう取り乱してはいなかった。
 ゆっくりと、初めて見せた時のような微笑を浮かべた。













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I promised to protect him from everything. =「私は彼を全てから守ると約束した」




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