――――快楽は心を石に変えるかもしれない 富も心を冷酷にするかもしれない しかし、哀しみは心を壊すことはできない かえって、傷つくことで心は生きる―――――― 『ワイルド蔵言集』O・ワイルド著(西村孝次訳) |
++++++++++++++++++++++ Undeniable Despair ++++++++++++++++++++++ 琥珀の章-act.5 |
アシュヴィンは、確実に出口に向かって進んでいるようであった。途中、何度も妖魔たちが襲ってきたが、その都度、紅夜叉で切り捨てていく。そして、その妖魔たちの襲撃は道を進むごとに強行になっていくから、おそらく彼が進んでいる道は迷宮を最短に抜けるルートなのだろう。 アシュヴィン自身、不思議に思っていた。何故、一度も迷わないのだろう? 自分の勘を頼りに進んでいるのであって、誰かに――――――何かに誘導されているわけではない。では、何故? (……まさか……私がこの道を知っているのか?) しかし、そんなことはあり得ないとすぐに自身で否定した。物心ついてからの記憶は、父の腕に抱かれて人間界をすでに彷徨っていたモノしかない。この迷宮に赴いた記憶などアシュヴィンの中にはないのだ。道を、知っているわけはなかった。 そんな風に記憶をさかのぼらせているアシュヴィンの耳に、迷宮の奥から響く足早な堅い足音をとらえた。何者かがアシュヴィンのいる方角に向かって駆けてくる。紅夜叉を身構えるアシュヴィンだが。 現れた人物を見て、思わず声を上げてしまった。 「……シャラ!?」 そこには、銀糸の髪を振り乱し、肩で息をするシャラがいた。左頬には、スッパリと切れてかろうじて塞がりかけたような傷が赤く一筋についている。シャラの方も、突然現れたアシュヴィンの姿に困惑した様子を隠さなかった。 「アシュヴィン……どうしてここに?」 「お前こそ、どうして……プラティシュターナは?」 彼の前で、プラティシュターナの名を出すのはやはり気が向かなかったのだが、致し方ないとアシュヴィンは口にする。 「妖魔だからって眠らないわけでもないだろ。注意が少しでも散漫していれば、逃げ出すことくらいできるさ。それにしても……お前がここにいるって事は、まさか俺を助けに来たのか?お前が?」 「私の責任だからな……」 確認するように訊ねられて、癪に障ったがアシュヴィンは素直に認めた。彼には事の経緯を話さなければならないと決意したばかりだからだ。しかし、他者に伝えるのにどのように説明するかまではアシュヴィンの内でもまだ整理できていなかったら、話の切り出し方を考えあぐねたが。 彼の内心の葛藤を読み取ったのか、シャラの方から話を切り出した。 「何も言わなくていい、全部知っている」 「シャラ……?」 「言いたくないことは無理に言うな。もう、いいんだから……」 「……」 「あの女の気持ちもわかるけどな。最愛の男の息子だもんな……」 シャラが苦笑する。プラティシュターナの夫と息子への愛情は、ある意味人間の持つものと通じるものがあるからかもしれない。妖魔らしくないと、一言で断ずるには激しすぎるものであったが。 「ま、とにかくここを出るのが先決だ。早く出口まで案内しろよ」 「?」 アシュヴィンは首を傾げた。道標を付けてきたので元来た道を戻ることは簡単だが、シャラの「案内しろ」というという言葉には、アシュヴィンが迷宮内の道を知っていて当然という響きがあるからだ。何故、彼にそんな確信があるのだろうか? そんなアシュヴィンの困惑した内心を感じ取ったのか、かえってシャラの方も首を傾げる。 「あれ?あの女が、お前は一度ここを通ったことがあるって言ってたぞ。覚えがないのか?」 シャラの言葉に、先ほど感じた違和感をアシュヴィンを再度思い出した。もしかしたら、と思い当たることがある。 もし、自分がこの闇の城で生まれていたとしたら……? そして、闇の城から人間界へ逃れる出口はこの迷宮しかないとしたら……? ――――――父は、まだ幼い、それこそ物心つく前の赤子の自分をその腕に抱いて、この迷宮を通ったのではないだろうか。 そうだとしたら、納得できる。この迷宮の道順を、記憶としては残っていなくても、確かに自分は知っているのだ。 気を取り直して、アシュヴィンはシャラに背を向けた。 「印がついている道順で行けば出口に着く。勝手に行け」 「勝手に行けって……お前は?」 「先へ進む」 キッパリと言うアシュヴィンの眼差しは、迷宮の奥へと見据えられている。 「進むって……闇の城へ行くってか!?冗談!!」 「私は行かなければならない」 そう、それはクルラージャが姿を現したあの時から、アシュヴィンの胸に宿った決意であった。行って、決着をつけなければならないのだ。 何の決着を? ――――――それは、過去の、現在の、そして未来への宿業を断ち切る為の。 それは避けられない行程なのである。もう、逃げることも目をそらすことも出来ないのだから。忘れ去ることなど、決して出来ないのだから……。 しかし、そんな彼の決意を、シャラは正気の沙汰ではないと非難する。 「俺はごめんだぞ!わざわざ死にに行くような真似、誰がするか!!」 「だから勝手に行けと言っている。どのみち、私はシャラを助けに行かねばならん」 沈黙が、流れる。 シャラが、軽く目を瞠って、おどけたように言った。 「何、言ってんだ?俺ならここにいるじゃねーか。気でも違ったか?」 「いたって正気だ。シャラの偽者に言われる筋合いはない」 アシュヴィンの物言いに、さらにギョッとして言葉を詰まらせるシャラ。こいつ、頭は大丈夫か!?とその見開かれた目が語っている。 そんな彼を、アシュヴィンはゆっくりと肩越しに振り向いた。冷めた眼差しで。 「……話し方も性格も確かに良く真似たな。見事と言うべきか」 「おいおい、いつから相棒を疑うようになったんだ?俺のどこが、俺でないって言う証拠があるんだよ?」 「しかし、今ひとつ奴の正確を把握しきれていなかったようだな。貴様は先ほど言ったな、“あの女の気持ちもわかる”と。シャラなら決してそんなことは言わん」 「……!?」 「シャラは、人の気持ちを感じ取ることはあっても理解はしない。奴には他人の感情など理解できないのだ」 シャラは、声もなくアシュヴィンを凝視していた。そんな彼に、アシュヴィンは淡々とした声で続ける。 「シャラは……自分勝手で自分本位で、他人のことなど考えない。奴の世界には奴独りしかいないのだ。他の誰も、奴の中に入ることは出来ない」 語りながら、アシュヴィンは自分自身に対して頷く。。 容姿も性格もまったく違うのに、どこか似ていると思っていた。確かに似ていると、今なら納得できる。――――――自分以外の者全てを拒絶しているところが。 誰にも心の内に踏み入れさせない。誰にも心を許さない。 ――――――孤独、という文字が浮かぶ。 アシュヴィンは、自分から自分以外の者を排除しているので、自身では寂しいとも悲しいとも思った事はなかった。だから、孤独と思った事もないのだが。しかし、他人から見れば孤独に見えるのだろうと、シャラの立場と置き換えてようやく自覚する。 だが、他人を拒絶という点ではシャラの方がいっそう激しい、と思う。謙遜でも何でもなく、客観的に見てもはっきりとわかるだろう。彼は、自分の存在意義すらも否定しているように思えるのだ。 お互い、過去を話そうとはしない。そこに理由があるのだろうが。過去の心の傷が、二人を排他主義にさせたのだ……。 アシュヴィンは、苦い思いを噛み締めながら、再びくるりと背を向けた。 「……貴様が外に出るというのなら私は何もしない。さっさと行くがいい」 「……お優しいことだな」 口を噤んでしまっていたシャラ――――――の偽者の唇がふてぶてしい笑みを形作った。 「それほどにシャラシャーインが大切か?同じ姿では手が出せないほどに?いかに疑われずに殺してやろうかと考えあぐねていたが、手間が省けた。ここで貴様を殺してやる!!」 シャラの姿をとっている妖魔の銀の髪が、ふわりと波打った。右手の平をアシュヴィンに向ける。本物を模しているその女のような細い指先から、しかし強烈な雷撃が放たれた。鋭く輝きながら飛来するそれを、アシュヴィンは紅夜叉で受け止める。どうやら敵はシャラの姿や性格だけでなく、戦い方までコピーしているらしい。 しかし。 「一つ、貴様は思い違いをしている」 「何!?」 「私は確かにシャラの実力は認めている。しかし、その人格となると話は別だ。シャラの方も同じだろうよ。奴なら“いつから相棒を疑うようになった?”などと訊くものか。私達は、お互いに相手が相棒だからといって信頼しあっているわけではない」 繰り出される雷撃を巧みにかわしながら、アシュヴィンはシャラとの間合いを詰めた。 「それに、奴が作り出す雷撃はこんなものではない!!」 紅夜叉が鋭く閃き――――――紅い閃光が走る。 シャラの姿が、縦に真っ二つに割れた。鮮血が勢い良く噴き出す。 二つに裂かれた身体が床に倒れるのと同時に、シャラを形作っていたそれは毛むくじゃらの異形の姿に変貌した。変化をしていたのだ。 それを見下ろして、アシュヴィンは冷たく吐き捨てた。 「本物のシャラがこんなに弱いわけがなかろう。奴が相手では、幾ら私でもそう簡単に勝たせてはもらえん」 しかし、決して負けるとは信じていない口ぶりである。 アシュヴィンは紅夜叉を一振りしこびり付いた血を振り払うと鞘に収め、二度とシャラであったものを見ることなく、先へと進んだ。 もうすぐ、出口だ。近いはず。そうアシュヴィンの勘が告げていた。この迷宮を通り抜ければ、闇の城は目と鼻の先なのだ。そこに、シャラがいる……はず。 アシュヴィンには、プラティシュターナが放った言葉が心のどこかに引っかかっていた。 『こやつが五体満足でいられると思うな!!』 シャラは、無事だろうか。 はたして、まだ生きているだろうか。 アシュヴィンを誘き寄せる餌の役割を課されているのだから、むざと殺されてはいない、とは思いたい。けれども、あの時のプラティシュターナは激昂していた。その憤怒のままに、シャラに手を出してしまったかもしれないのだ。 今回の件以外ならば、アシュヴィンにはシャラの生死に関心はなかった。彼がいつどこで死のうが関係ないと、胸を張って言い切っただろう。だが、それが自分のせいとなれば話は別だった。 「……?」 不意に周囲の気配が変わったような気がして、アシュヴィンは眉を寄せて歩みをぴたりと止めた。そこは今までとは様相の違う場所であった。 (回廊というよりは……部屋に近い?) 思わず周囲を眺めてしまっていたアシュヴィンの背後で、堅いものが閉じる音がして、彼は愕然として振り返ってしまった。見れば、今来た通路が扉で閉められているではないか。つい先ほどまではどこにも扉など存在しなかったのに。突然現れた扉は、まるでアシュヴィンの退路を断つかのようであった。 「とうとう、ここまで来たか」 聞き覚えのある声が、アシュヴィンの耳に届く。 声の主が誰であるか悟りながら、アシュヴィンはゆっくりと向き直った。 視線の先には――――――クルラージャが、いた。 「いやあ、お見事。死ななかったとは、さすが我が兄上」 「私を殺すようにプラティシュターナから命ぜられたのか?」 「まさか!あの人が最愛の男にそっくりな息子を殺そうとするわけがないだろう。あいにくと、俺は全然似ていないんで見向きもされないがな」 『母君に疎まれている』そういった妖魔の言葉が浮かんだ。 そういう、ことなのか。 「だが、この迷宮の罠は私を殺そうとしていた。お前の仕業か?」 「そうだよ。俺はあんたに死んでもらいたいんだよ」 「あの妖魔が言ったように、自分の方が優れているとあの女にわからせたいのか」 「冗談でしょ。あんたを殺したら俺が殺されるよ。激怒したあの女に」 先の妖魔の言をあっさりと否定するクルラージャ。 アシュヴィンには彼の真意が全く見えなかった。 「では、何故?」 「さあ……な」 にやりと、クルラージャが笑った。 それを合図とするかのように、部屋の中に少しずつ霧が発生していった。足元から白く霞むそれに、視界が徐々に利かなくなってくる。 「この迷霧の間を過ぎれば、そこが闇の城の入り口だ。通り抜けられれば……な」 霧の中から響く声。すでにクルラージャの姿は白い霧によって隠されている。 全てが白い靄の世界に変わった頃、別の声がアシュヴィンの耳に届いてきた。遠くから、響くように。 “……ン” 聞き覚えのある懐かしい声。そんなまさか、とアシュヴィンは思う。その声は、もはや失って久しいのだ。聞こえてくるわけがないと、自身の耳を否定するのだが。 “……シュヴィン” もう20年以上も耳にしていないのに、その声はまだはっきりとアシュヴィンの記憶に刻まれていた。忘れるわけが、ない。 白い霧によって視界がぼやけたのと同じように、アシュヴィンの心も霞んできた。聞こえてくる声が、もはや存在しない人物のものなのだと否定することも出来ないほどに。 “……アシュヴィン……” 「……父上……」 懐かしい想いは、記憶を蘇らせた。 あれは、塔に来る以前。 傍らにいる父の暖かい手が自分を抱きしめていたあの頃へ、心は急速に遡っていく……。 |
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