――――もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば

      人間は全てとっくの昔に亡びていたであろう――――――





   『エピクロス』より









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Undeniable Despair

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序章-act.1















 少女は塔の裏庭を彷徨っていた。

 魔術師見習いの彼女は、本当なら講義に出席していなければならない時間なのだけれども、今の時間の教官がどうにも気に入らなくて無断欠席――――――いわゆる、サボってしまったのだ。
 彼は、自分の経験を交えて話を進めていくのだが、その体験話には彼自身の自慢が含まれ過ぎている。それも、つまらない自慢話ばかり。
 第三期まで進学できて自分に自信のある少女にとっては、その教官のくだらない自己満足はうんざりしてしまうものだった。彼の講義に出席すること自体が多大な精神的苦痛を少女に与えていた。それでも我慢に我慢を重ねて日々を過ごしてきたのだが。

 とうとう、サボってしまった。

 かといって、塔内にいれば無断欠席がすぐにばれてしまう。というわけで、裏庭に隠れていようと彷徨っているわけなのだった。

 ぽかぽかとした日差しの暖かな日だった。昼寝日和だと、適した場所はないかときょろきょろと見回して探す。と、足が何かムニュッと柔らかなものを踏んだ。

 ギョッとした少女が足をどかすよりも早く、下の物体から声が上がる。

「痛い!!」

 それは痛いだろう。腹部を思い切り踏んでしまったのだから。

 とはいえ、少女は人を踏んでしまったということよりも、ここに人がいるという事実に思わず呆然としていた。この時間にこんな場所にいるなんて……この人もサボりだろうか?

 それにしても、可愛い人だ、と思った。

 声からすると男の人だとは思う。けれど、男相手に可愛いなんて言葉の使い方を間違っているとは思うものの、そうとしか形容できぬ容姿の持ち主だった。薄く緑がかった銀の髪に青紫の瞳という変わった組み合わせだが、とても綺麗で少女の視線を縫い付けた。年は彼女と同じくらいだろうか……いわゆる童顔で女顔。まるで精緻な人形のようだった。

 思わず見とれてしまっていた少女の耳に。

「ぼけーっと突っ立ってないで謝ったらどうだ?」

 と、顔からは想像つかない言葉使いの少年の声が届いた。
 外見とのギャップの激しい口の悪さに少女がむっとする。

「どうもごめんなさい!でもあなただって悪いのよ!こんな所で人が寝てるなんて誰も思わないわよ!!」
「俺に言わせりゃ、この時間にこんな所に人が来るなんて思わないね」
「何よ!そっちだってサボりのくせに偉そうに!!」
「……」

少年は、口をぽかんと開けて少女を見た。呆気に取られた様子だった。

「……すっげー活きのいい女……」
「あたしは魚じゃないわ!!」

 怒りの為に少女の顔は真っ赤だった。

 それにしても……。

「あなた、見かけない顔ね?第一期か第二期の人?」
「……そういうあんたは三期?」
「そうよ。進むの結構早いでしょ。あたし、5つの頃にここへ来たんだけど、今年で13年目。今年中には“術師”の称号がもらえるわ」
「へぇー、13年ねぇ……」

 称号がもらえる平均は20年である。そう考えると早い方だ。

「……あれ?っつーと、まだ18歳か?」
「まだ?あなた、幾つ?」
「少なくともあんたより上」

 そのとき、少女は頭上から岩が落ちてきたかのようなショックを受けた。
 目の前にいるこの(黙っていれば)可愛らしい少年が、自分より年上なんて……。しかも、女の自分よりも格段に可愛い。それが少女の女としてのプライドをいたく傷つけていた。

 それが顔に出たのか、少年はそのいわゆる“可愛らしい”顔を露骨にしかめた。

「人を見かけで判断するなよな。むかつくなぁ」

 少年の言葉に少女はムッとなった。
 そりゃあ、男の人にとって自分の年を実際より少なく見られたら嫌な気分だろう。ましてや、女相手に“可愛い”と謳われて喜ぶ男性などいはしないだろう。そのことについては素直に謝ることだって出来る。

 それにしても、普通そこまではっきりと言うだろうか?思いやりというものが全くない奴だと、少女は憤慨した。

 少女が勢いに任せて怒鳴りつけようとした時、二人の耳に人を探す声が聞こえた。
 気のせいか、こちらに近づいてくるような気がする。

「シャラ様、どちらにおられますか?」

 かなり間近に来たので、後ろ暗いことのある少女はやばいと思って身を翻そうとした、が。

「俺ならここにいるけど」

 と少年が答えたのを聞いて、少女は信じられぬものを聞いたとばかりに振り向いた。

(今……シャラ様って呼ばれてこいつが答えたけど……シャラってもしかして……)

「ああ、こちらにおられましたか。シャラ様」

 中年のふくよかな女性が茂みから姿を現した。少年の姿を見つけてホッと安堵している。

「よくここにいるってわかったな」
「何を仰るんですか。シャラ様がお暇な時には必ずこちらで昼寝をしていることは有名なんですから。女長様がお呼びでございます」
「あー、分かった。すぐ行く」
「お昼寝のお邪魔をして申し訳ありませんでした」

 にっこりと笑う。それはもちろん、好意の皮肉だ。

「べ、つ、に、いいけどぉー!どうせそこの女に邪魔されたしぃー?」
「リ……リトゥ!?あなた、こんな所で何しているんですか!?今は講義の時間でしょう!?」
「わーっ、すいませんでしたーっ」

 思わぬところでサボりがばれてしまった少女である。
 リトゥと呼ばれた少女に向かって、シャラがケラケラと笑った。

「いーじゃん、俺だって称号もらう前はよくサボったぜ」
「今だってよくサボっておられるくせに……それでよく3つも称号が取れましたね」
「運がよかったんだろ。じゃーな」

 手をひらひらと振ってシャラは茂みの奥に去っていった。

 リトゥは、女に向かって恐る恐る尋ねる。

「あ、あの……今の人って、もしかして……シャラシャーイン……様?」
「あら、知らずに話してたの?」
「え、ええ、まあ……」

 言えなかった。話をしたどころか、恐れ多くも彼を踏んづけてしまったなんて……。

 シャラシャーイン。
 塔では、伝説にさえなるであろうと言われている人。
 わずか5年で“魔術師”“施術師”“法術師”の3つの称号を得、その底知れぬ力は塔の長でさえも一目置いているという。

 しかし……思い描いていたイメージと違いすぎて、リトゥは呆然とすることしか出来ない。
 魔術師見習いのリトゥにとって『シャラシャーイン』とは崇拝の的であった。どんな立派な人なのだろうかと、期待を膨らませていつも想像していた。いつかその人のような素晴らしい力の持ち主になりたいと、憧れてさえいた。それなのに。

(じ、実物は可愛らしいくせに口がものすごく悪い少年だったなんて……)

 理想が、粉々に砕け散っていく。

「さーて、リトゥパルナ。あなたにも用が出来ましたよ。どういうことかじっくりと説明してもらいますからね」

 女の言葉に現実へと引き戻されたリトゥは、顔からさーっと血の気が引いた。




















 大塔の、女長の執務室の扉の前にシャラが到着してからすでに10分が経っていた。

 ……けれど、彼はまだ扉の前に立っていた。難しい顔で。
 嫌な予感が、彼を室内に入らせるのを躊躇わせていたのである。

「こーゆー嫌な予感って、忌々しいことに当たるんだよなぁ……」

 ふうっと深く溜息をついた。
 女長の呼び出しを無視するわけにもいかないから逃げ出すわけには行かないが、さりとて中々入る決心がつかない。

 そこへ、シャラの耳に一定の歩調で聞こえてくる足音が届いた。近づいてくる。

 ふと廊下の奥を見ると、黒い人影がこちらに向かってきている。
 それが誰なのか、はっきりと識別できる距離まで近づいた時、お互い心底嫌そうに顔をしかめた。

「……久しぶりだな、アシュヴィン」

 にこやかとは言いがたい険悪な雰囲気で、それでも無理矢理引き攣った笑みを浮かべてシャラが言った。

 対する相手は。

「……全くだ。二度とお前とは会いたくなかったが……」

 無表情に冷たく言い捨てた。

 アシュヴィンと呼ばれたその男は、外見は全くシャラとは対照的であった。黒髪に切れ長の金の瞳、長身ですらりと整った体格といえば『格好いい』部類に入るだろう。『可愛らしい』シャラとは本当に大違いだった。

「それはこっちの台詞だ!大体言っておいたはずだぞ。てめぇとは二度と組まないって!」
「確かに聞いたし、そんなありがたいことを忘れるはずがなかろう。そのことについてだけは珍しく気があったな」

 “だけ”を強調してアシュヴィンが言った。シャラが言葉使いが悪いと言うのなら、この男は発言内容がかなり辛辣であると言えるだろう。

 しばらくの間、二人は無言で睨み合った。
 嫌な予感がますます強くなる。

 二人は意を決すると、

「失礼します!」

 と勢いよく扉を開いた。

 本棚と机、最低限の調度類しか置いていない執務室の主人は、顎に手を添えて机に肘を付きながら待ち人を迎えた。中年を少し過ぎた頃の女長は、眉を吊り上げて入室してきた二人を見て、にこやかに微笑んだ。

「あら、二人一緒に来るなんて随分仲がいいのね」

 二人は一瞬口を閉ざし、お互いの顔を見合って、

「冗談じゃない!!」
「どこに目をつけてるんですか!!」

 と、吠える勢いで女主の机に詰め寄った。

「そう見えるんだけどねぇ」
「お目が悪いようですね」
「更年期障害ですか?」

 無愛想にアシュヴィンが言い、面白そうにシャラが言った。ちょっとした意趣返しだ。
 しかし、それでやり込められるほど女長は甘くはなかった。

「そうね。扉の前で10分間も立ち尽くして年寄りを待たせるようなことがなければ、私ももう少し心が安らかに過ごせるんだけどねぇ」

 ニコニコと、彼女の笑顔は崩れない。

 気づいていたのなら声を掛ければいいのに、とシャラは思う。その辺りは本当に一筋縄では行かない相手だ。

「で、俺達を呼び出した理由は!?ユディシュティラ女長様!」
「もちろん、仕事の依頼です」
「ちょっと待った!またこいつと組めなんて言うんじゃねーだろーな!?」
「二度と彼とは組ませないと、前回に約束してくださったはずですが」

 やはり嫌な予感というものは当たるようだ。
 お互い、二度とこいつとは組みたくないと必死(?)に反抗した。反抗の仕方は性格の違いが現れていて、シャラは騒がしく、アシュヴィンは冷静にと対照的だが。

 しかし、やはりユディシュティラは甘くはない。

「でも、別に誓約書を書いたわけではないしねぇ。あなた達二人が組むと仕事の成功率も高いし」
「では、誓約書を書いていただきましょうか。今ここで」
「この仕事を引き受けてくれたら喜んで書きましょう」

 つまりは、今回の仕事を引き受けない限り誓約書を書く気はないということで……どうもこの女長に嵌められたような気がする。

 ユディシュティラは“塔”では初の女長であった。当然、様々な非難が浴びせられた。女に“塔”の長が務まるものか、と。
 ところが、ユディシュティラはそんな非難にも負けずに、皆の予想を裏切って素晴らしい手腕を示した。
 塔の経済状態を赤字から黒字に変え、才能のあるたくさんの若者が術師になることが出来るように、今までの家柄・財産の考慮方式を廃止した。塔の古株からはかなりの非難が来たそうだが、ユディシュティラはものともしなかったのだ。
 彼女自身、長の地位に就くまでは“塔”の妖術師であった。まさに働く女性(キャリアウーマン)の鏡であろう。

「そうまでして俺達にやらせたいってことは、かなり危険な仕事なんだ?」

 シャラも馬鹿ではない。意味のない嫌がらせを、この女長がするわけがないのだ。

「一つの街の住人が消えました」

 ユディシュティラの、落ち着いた声。……内容はともかく。

「消えた?死んだんじゃなくって?」
「消えたのです。死んだのなら死体が残るはず。しかし、それすらもなかったのです。偶然その街を通りかかった旅人に話を聞けましたが、まだ温かい食べかけの料理がテーブルに乗っているのに人の気配は全くなくて、一瞬の内に消えてしまったとしか思えないそうです」
「で?俺達にどうしろと?」
「この件の原因を探ってもらいます。そして、その原因を除去しなさい」

 それは命令。
 “塔”の絶対的存在からの。

「しかし、それなら剣術師の私が出向く必要はないような気がしますが……」

 なおもアシュヴィンは言い募る。最もな言い分なのだが、その裏にはまだ諦めきれない思いがあるのは明確だった。

「妖魔が関わっている可能性があるといっても?」
「妖魔……」

 シャラとアシュヴィンは顔を見合った。

「分かりました。引き受けましょう」
「そう言ってくれると思ったわ」
「ですから誓約書を書いていただきましょう。今すぐ!」
「……まだ覚えていたのね……」

















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